Talent No.17

MASANA_IZAWA
Nature photographer/Fundoshi

  • #世界を逆から見てみる、ノグソで。
  • May 26th, 2024
Profile

伊沢 正名(いざわまさな)は1950年、茨城県に生まれる。高校時代、目の当たりにした大人たちの社会に絶望、仙人を志し高校を中退する。その後、自然保護運動に参加し自然写真家として生きる道を決意。主にキノコやカビ等の菌類の美しさを撮影することに情熱を注ぐ。1974年よりノグソを開始。これまでに1万4500回のノグソを実践し、その行為を通じて既存社会に対する問いや義憤を、世の中にコミュニケートする。主な著書・共著書に『日本のきのこ』『日本の野生植物コケ』『くう・ねる・のぐそ』『葉っぱのぐそをはじめよう』『うんこはごちそう』などがあげられ、2021年からは糞土塾(ふんどじゅく)を開講している。

人間社会への絶望から、仙人になることを決意した青年時代。その悲しみ、怒りともいえるエネルギーが原動力となり今日も伊沢正名を突き動かし続けている。

青年時代に抱いた人間への絶望感

伊沢さんはどういう幼少期を過ごしていましたか?

山遊びをやっていましたね。

お父様もおじい様も歯医者さんで。医者の道に進まなかったんですか?

やるつもりだったんだけど、人間社会で生きていくのが嫌になったんですよ。ある日、列車に乗っていると大人たちの会話が聞こえてきたんです。それが上司の悪口とか、社長の悪口とか。1番覚えているのは、4人のボックス席に座った時に制服の自衛官が座って、その3人の会話です。

その自衛官がね、食堂関係の仕事をしていたらしいです。一斗缶に醤油が入っていて、それが余っちゃうと使いきらないものだからドブに捨てるらしいんです。余してしまうと翌年の予算が取れないんだって。この世界ってこんなことをやっているのか!と、人間社会に絶望を感じました。

それはショッキングですね。

中学生当時でこの話を聞いて、大人の世界って汚いなと思って人間不信になりましたよ。

少年伊沢が傷ついたわけですね。

はい。そんな汚い奴らの世界で生きていきたくない。最初は医者になろうと思っていたけど、人間を相手にしたくないと思ったんです。

そのときの体験がショッキングで。

ええ。70年代は自然破壊がテーマになったでしょう、その時は営林署をやろうと思っていました。

ところが営林署の話も、よくよく聞くと全国で森を切りまくってるわけ、これも自然破壊。だからやめちゃった。それでもう人間社会には行くところがなくなって、山にこもって仙人をやると決めたわけです。

高校生の時に仙人になると決めたんですか?

はい。人間の世界を捨てようと思いました。仙人になろうと思ったんです。

仙人になるために、まずはどうしたんですか?

まずは高校を中退しました。それでどこかの山に篭ろうと思って、山選びの旅を始めました。でも同時に自分でなんとか生きていかなくちゃならない。私は手先が器用だったから歯医者の親父を手伝って、技工士として働きながら旅をすることにしました。

なるほど。どんな山に行ったんですか?

2年くらいかけてヒッチハイクで北海道から九州まで行きましたよ。それで、なんとか実際に見つけた山に篭っていました。でもね、やってみて感じたことは開発が山の方まで進行してきていて、安心して暮らせるような場所がない!

そうそうあとは、その旅の中で「行くところがないんだったら泊まっていけ」と言ってくれるものすごい親切な人が現れたりもしました。それで、人間に対する見方がガラッと変わるという経験もしました。自分の知る大人は悪いことばっかり言ってたけど、そうじゃない人もいるのか!と。親切な人は、困っている人を助けてくれるんだ、ということも知りましたよ。

とういうようなわけで、もう1回、人間社会に戻っていくことになるんです。

それが旅の結果?

はい。それで改めて何をやろうかなと考えたんです。そうしたら、やっぱり自分は自然が好きだから自然保護をやろうと思って自然保護運動を始めることにしました。

人間社会へ復帰した伊沢少年

仙人を終えて人間社会に戻った、具体的にどんなことをされたんですか?

自然保護グループを作ろうということで、高校生とグループを作りました。

1970年代ですね。

はい。グループで活動していたんだけど、今振り返るとその頃の考え方は、まだまだ自然をモノとして見ている感じでしたね。人間にとって大事な自然を守るっていう考え方が根本にあったように感じます。

人間が主だったんですね。

そうそう。ところが、1973年にキノコに出会います。

キノコに。

はい。最初はキノコになんて全然興味なかったんです。でも、あるとき山に登っていたら真っ赤なキノコがいきなり現れ、思わず写真を撮りました。そうしたらそのキノコの名前が知りたくなって。それで、下山してからキノコの働きという本を見たんです。そうすると、キノコって、枯れ木を分解し土に還して土を肥やす働きをしていることがわかりました。その働きで森ができている、つまりキノコが森をつくっている。これはすごいなと思いましたよ。それまでは、生命は死んだらおしまいだと思っていたんですけど、キノコは新しい命を甦らせるということを知ったんです

糞土師の成り立ち

伊沢さんのいまの使命観念に通ずるものが見つかりましたね。「糞土師」と名乗られたのはいつからですか? 

2006年くらいです。

他にも「糞土師」と名乗っている方もいるんですか?

結構やっている人はいますね、名乗ってもらっても構わないんだけど。

伊沢さんの活動に感化されて?

そうです。今は講演会をあっちこっちでやっているけど、実際にここ糞土塾に来てもらって、寝泊まりしてもらって実際に糞土師の活動をやってもらっています。

プープランドを作ったのはいつぐらいなんですか?

プープランドを始めてからまだ2年くらいかな。糞土塾も始まって、まだ2年です。

ずっとそういう構想はあったんですか?

そんなに古くないけど、7〜8年前ぐらいから、やろうかなとは思っていました。お袋が亡くなったのが2015年で、誰もいなくなったというのもあってね。そうそう、これを写真に撮ってください。

「食は権利、うんこは責任、野糞は命の返しかた」。

これはちゃんと「糞土師」になってからできた言葉です。食べるということは、生き物を食べてるわけ、それは生き物の命を奪うことなんだよ。ものすごく大事なことで、食べるということは生きるということ。

食べればウンコが出るということは、食べて命を奪った証拠だろ。美味しいご馳走をウンコに変えたのは誰だ?自分じゃないか。だから、ウンコというのは命を奪ったことと、美味しいご馳走を命に変えたという責任の塊がウンコなんだ。その責任を果たすためにはどうしたらいいのか。奪った命は返せばいい。ウンコを綺麗にすればいい。自分が汚くしたんだから。それは1人でできる。それで「糞土師」になったんです。糞土師になってから何年もかかって考えたんです。これを広めたいんです。

これがもう根っこの部分ですね。

そうです。自分のウンコに対して責任を持って、糞土師は正しく命を奪う、食べることにも責任があるわけです。人間はみんな食べる前のご馳走にばかり目をやって、食べた後のことを全然みてないんです。

例えばね、俺がキノコに出会った時期頃に尿処理施設建設に反対する住民運動が起きました。臭くて汚いからと言って住民が反対運動をするわけです。それを見ていて、なんだこいつらと思いました。自分たちで毎日、ウンコしていて、そのウンコを処理してくれるのが、し尿処理施設じゃないか。それに反対するとはなんだと思いました。汚いと言っているのは自分たちが出したウンコなのに。怒りを覚えましたよ。

それでね、反対なんかしてられない、自分がなんとかしなくちゃいけないじゃないかと思いました。人間は、ウンコして他人に迷惑をかけている。枯れ木とか動物の死骸からウンコまで、自然に還って新しい命が蘇るんだから、だったらノグソすればいいと思ったわけです。

その純粋な想いが奇人変人として見られてしまうと。

そういうわけなんです。周りから見たら不快だと言われてしまう。でもね、ノグソの裏で命の浄化まで考えている。不快だなんて、俺からすればとんでもない奴らだと思ってるよ。今のこの世の中でいいとされてることが、マイナスになることが全然見えていないんだよね。悪いことをやろうとは思っていないんだろうけど…。純粋に気が付かせたいんです。となるとね、その材料がウンコになると1番わかりやすくなる。

全人類共通していることですからね。

はい。もう50年もノグソで命を還してきたよ。

説得力がありますね。

そうでしょう。すごい研究をやっている人はいるけど、新しい開発したがためにこんな酷い世の中になった…なんてふうにも言えますね。ところがノグソは食べた分を出しているだけ。だからね、楽しさもありますよ。

SDGsをどうみるか

そういえば最近は、SDGsって言葉がありますね。

うーん、そうだね。SDGsの文脈で環境悪みたいに言われ始めているマイクロプラスチックとかって確かに便利なものだけど、腐らないということが後々を考えるとナンセンスだよね。今までは一側面をみていいというように見えていたことが、ある程度までは良かった、でも限界を超えちゃったってことなんじゃないかな。自然に尽くした生き方というのを、もっと考えなくちゃいけないんじゃないかなと思うよ。

今までの発展というとね、もっと人工的な観点で、要するに科学でなんでもできるんだということで。いろんな開発をしてきて、電気もその一つです。確かに便利なんだけど、今、それがとんでもなくマイナスの方向にいっていると感じます。自然に対しても、ものすごく負の影響が大きいよね。

そうですね。プラスチックや電気を否定したい考え方でしょうか?

全否定はできないです、それはわかっているよ。学校にはクーラーがないと、イケてないですよね。でもね、行き過ぎちゃったと思うんですよ。エアコンを全部につければいいとかね、変な方向を向いちゃった。せっかく、日本には日本の風土にあった文化があったのに、それを全否定しちゃった。そういうのはまずいだろうと思いますよ。

そこに危機感を持ってやっているわけですね。

そうですね。世間で言うSDGsは持続可能とかって言っているけど、まだまだ場当たり的だと思いますよ。資本主義のいけないところとか、科学のまずい部分がやっと気づかれはじめてきたって段階でしょう。その1つの具体的なものに気候変動がある。ここ10年、20年ですけど、世の中的にもはっきり認識されてきたよね。それからでしょう、じゃあ具体的にこうしよう、ああしようって話になってきたのは。

結局、そのプープランドも糞土塾も、いかにみんなに気づかせることができるかだと思ってます。

例えば、アイヌの人たちは皮で道具を作ったりしますね。ゴミというものはないという発想です。すべてが自然に還るっていう。

それが本当の循環であり共生であり、本物のSDGsはそれだよね。SDGsってさ、新しい儲け方を考えているんじゃないかな?太陽光とか再生可能エネルギーもそうですけど、結局その機械は全て人工物でしょう。太陽光を集めるためにどれだけの資源を使っているんだよ、と思うね。だったら電気を使う量を減らせばいいんじゃないかな?まずはそこからやらないといけないのに、なんか方向性が違うと思うんですよ。

糞土師が見る世界

なるほど。伊沢さんから理想の世界ってどういうものでしょうか?

人間だけがいいんじゃなくて、全ての生き物が平等なことかな。命が大事だとみんな言うけど、いま世の中で言われている命ってのは結局、人間の命のことだけなんだよ。

どうやったら理想の世界に近づくんでしょうね?

人間は生きるために食べるでしょう。でも、食べられるとは考えてないですよね。結局、食べられるものは死ぬわけです。人間の食べ物として他が死んでくれるから、自分が生きているんじゃないか。すると、逆に言えば、自分が死ぬことで相手を生かすことができるんじゃないかな。そう考えたら、死の裏には生があり、生の裏には死がある。つまり、両面を考えようよ、と。みんな、自分が生きることしか考えない。生きるために、どれだけ多くの生き物を食べて、命を奪っているんだ、と考える事ができれば、平等になれるかもしれないね。

それを考えないで何が人権だ、偉そうなことを言うな、と思うよ。ふんぞり返っている奴らにいかに平等を気づかせるか、そうやって考えて行動することが楽しいね。しかも、ウンコでやっつけるんですよ。

理想の世界に近づけるための計画があるんでしょうか。

普通だったら、今の文化抗争みたいに、より強い武器を持とうとするでしょ。強い武器を持っていた方が勝って当たり前、ところがつまらないウンコで戦って、平等を勝ち取ってみせたいね。

武器に関連した話では、最近はロシアとウクライナの戦争もありますね。伊沢さんはどうみていますか。

あれも毒です。プーチンにはプーチンが思う理想がある。悪いことをしようと思っているんじゃない。みんな、正しいと思ってやっているんですよね。正そうとすること自体が間違っているんじゃないかな。大切なことは、全部ひっくり返してみてみることです。正面から見たものを全部裏から見てみる。そうすると逆の世界が見えてくるわけです。 

逆から見てみる、と。

世界を襲ったように見えるコロナウイルスなんかもあるでしょう。あれも人間がやりすぎたからこうなって…天罰みたいなものとも言えるでしょう。人間だけがふんぞり返るなということなんじゃないかな。せめて日本は江戸時代まで戻ることができれば良くなるんじゃないかなと、考えることもありますよ。

今、戦う相手は。

伊沢さんの発信には、いろんな人が勇気づけられると思います。

裏も表も見るっていうことは、なかなかできる人はいないからね。

かつて相模原で、凄惨な殺人事件があったとき、障害者を助けるか否かについて議論がありました。そのとき人権派は、「人は生きているだけで価値がある。」と言いました。一方で殺人した側は、「障害者は生産性がないから生きている価値がない。」と言いました。

それを知ったときね、僕は「生産性ってなんだよ。」と思いました。生産性って簡単に言えば、ものを作ることだよね。ものを作るためには、資源とエネルギーを自然界から奪ってきてね、製造する過程で環境汚染物を出すじゃない。出来上がった製品はやがて壊れてゴミになるだろう。資源とエネルギーを奪って、環境を汚染してゴミを出すのが生産性だろう。それのね、どこがいいんだろうね。一方で、人権派は人権派で単に頭で考えて、主張に要点がないよね。人権派だってガンガン食べて命を奪っているじゃない?

どちらの主張も一側面しかみてないように感じたんだよね。

障害者の人もノグソする力がありますよね。

そうそう。「生産性」という観点で言えばむしろ、生産性のある人間ほど、自然に対してどんどん負担をかけていて悪いんじゃないかな。障害者とか引きこもりの人とか、生産しない方がよっぽど地球に優しくないかな。ただし、食べるだけじゃなくて、ノグソしなくちゃダメだけどさ。

そのセットでね。

食べてウンコして成長して、子孫を残して死ぬだけで生産性はないです。それが普通の生き物です。ところが、人間は生産性を持った後に、どんどん自然破壊をするわけです。その結果が今の環境破壊で、地球温暖化やいろんな問題をひき起こしています。

むしろ野生動物みたいに食べて、成長して、ウンコして、子孫を残せばそれだけでいいんだよ。新人類はそれをやってきたわけです。だから自然と、ちゃんと調和していた。アイヌもそうです。私達は、それをただ見習ったらいいんじゃないかな。

奥が深いです。

つまりね、ノグソをしていれば生きている価値が上がります。

糞土塾での体験とは

来週は、講演会に参加してくれた人が宿泊体験に来るんです。あとね、墨田区の街中で、お尻を拭ける葉っぱを探そうというイベントもやりますよ。

墨田区で。

都会でも、葉っぱ探しくらいはできるだろうと思ってね。東京も直下型地震とかはいつ来るかわからないでしょう、そうなったらトイレットペーパーも買い占められる。葉っぱがあれば…拭けるでしょう?

公園とか神社って、ノグソをしても大丈夫なんですか?

違法になっているよ、軽犯罪法でね。

昔から違法なんですか?最近なんですか?

いつからかはわからないけど、軽犯罪の法律があります。でもね、それはあくまでも人間中心の考え方で違法だとしているんです。自然と共生するような考え方じゃないんだよね。結構、都内でも神社の森とか公園とか…。このあたりでノグソをすると、完全に軽犯罪法で逮捕される、犯罪者です。監視カメラもあるから、見つかればお前は何やっているんだと言われるだろうね。ああ、人間不信になりそう。東京は最悪だなと思うよ。でもね、そこをひっくり返したいんです。いざとなった時はどうするんだよ?ノグソができればトイレなんていらないんです。でも、公園でしたらダメだと言うから、震災でもトイレが臭いから。

正しいノグソのやり方。

正しいノグソの仕方というのがありますよ。

「場所選び、穴掘り、葉で拭き、水仕上げ、埋めて目印、年に一回」。

アウトプットの点数が高いです。(笑)さいごに、読者の皆さんに伝えたいことはありますか。

反対側から見ると、今までマイナスだったものがプラスになります。逆に今までプラスだと思っていたものがマイナスになることもあるでしょう。自分のことしか考えないとマイナスになって、相手のことを考えているならプラスになる。そうすると、いじめの問題とか、差別とか、解決策が見えるんじゃないかと思っています。いじめられる側に立てば、あなたはそういうことをよく言うけど、頭で考えているだけじゃないか。実際にいじめられる立場になってみろよと思っているわけです。つまり、自分が批判される側に立ってみて真実が見えてきますよ。

体験するだけでだいぶ違いますよね。このインタビューを聞いてもらった方に体験できてもらえるといいですよね。

来てもらって、お風呂から何から全部自由に使っていいです。いつまでできるかわからないですけど、死ぬ前にこの山を誰かに譲りたいと思っているんです。タダであげたい。持っていてもしょうがないし。今、「対談ふんだん」というものをやっています。例えば、沖縄の人は「正しさ」が暴力になっていると言っていましたよ。仲良くするためには、強制しないことが大切です。私はノグソを1万6千何百回とやっているからこそ、見えることがあるんです。言葉で理解してもらうよりも、実際にその裏側を体験してもらいたいですね。ここだったらクーラーもないし、快適じゃないというのもわかるわけです。

引き継いでいきたいですね。

実際にここを運営して、実際に体験して、社会をどんどん変えていく起爆剤をここでやってみたいと考えています。

やわらかな雰囲気を纏う伊沢氏の口からは、怒りにも似た人間への問いかけが溢れ出す。その問いかけが可視化されたものがノグソだということか。一見すると奇抜で、メディアに受けそうなインパクトある肩書や活動だが、イロモノだと、どうか通り過ぎないでほしい。彼は、自身の想いが伝わりやすいように考えることもまた得意なだけなのだ。

Information

MASANA_IZAWA

伊沢 正名(いざわまさな)は1950年、茨城県に生まれる。高校時代、目の当たりにした大人たちの社会に絶望、仙人を志し高校を中退する。その後、自然保護運動に参加し自然写真家として生きる道を決意。主にキノコやカビ等の菌類の美しさを撮影することに情熱を注ぐ。1974年よりノグソを開始。これまでに1万4500回のノグソを実践し、その行為を通じて既存社会に対する問いや義憤を、世の中にコミュニケートする。主な著書・共著書に『日本のきのこ』『日本の野生植物コケ』『くう・ねる・のぐそ』『葉っぱのぐそをはじめよう』『うんこはごちそう』などがあげられ、2021年からは糞土塾(ふんどじゅく)を開講している。

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