Talent No.23
Profile
岡琢也(おか たくや)。Blue Gecko lab. 代表。アオマルメヤモリを筆頭に、様々な爬虫類のブリーディングを行う。幼少期から爬虫類の飼育や繁殖に慣れ親しみ、静岡県伊豆への転居をきっかけにアオマルメヤモリをはじめとする爬虫類の飼育を再開。コバルトツリーモニター、ポリロフェルスゲッコーなど国内での繁殖例がほとんどない希少種の繁殖にも成功する。屋号にもある通り青い生き物に強く魅せられ、こだわりを持っている。
生まれは、長野県の山奥です。新潟との県境に近い豪雪地帯なんですけど、生き物は当時から特別に好きだったと思います。魚やカエルを捕まえたり、トカゲを追いかけたり野生児みたいな感じでした。当然、その頃から生き物の飼育もしていました。
全くそんなことはないです。当時の夢は、コックさんになることでした。ただ、保育園の先生が、この子は動物王国みたいなところに行かせるべきだ、この子はそういう道に行かせないともったいないって親に進言するくらいだったみたいです。だから保育園では教室にはいられず、トカゲを追いかけていました。マムシを保育園の敷地内で捕まえて、飼うんだ!て言って大騒ぎになり、保育園のバスに乗せて持って帰ったこともありました。
特別、生き物、生き物ってこだわっていたつもりはないんですけど、周りの大人から見たら、どうも異常だったようです。
実家の祖父母が、釣り具店をやっていまして、父が地元の釣り名人みたいなポジションにいたので、よくそこについて行って、私は後ろで川遊びをしていました。自然が豊かな環境で育ったので生き物に触れる機会が多かったんですよね。
得意かどうかわかりませんが、やっぱり釣具屋だったので。幼少期は川や池で釣りをしていました。伊豆に来てからは海が近いので、釣りは今のほうがやってます。ヒラメとかアオリイカとかグラム単価の高い高級魚が釣れるんです。
そうですね。生き物係みたいなこともやってましたしね。授業中に生き物に何かトラブルがあった時、私がその対処をすれば、授業を受けなくても良いって免除されたこともありました。
生き物を飼っている皆さんには、大体過程があるんです。身近な在来種から入って熱帯魚にいって、そこから「上陸」という表現をしますけど、爬虫類、両生類にいかれる方がほとんどです。私もそういう感じで、中学生ぐらいまでは熱帯魚をずいぶん熱心に飼ってましたね。
いや、高校生の頃はアルバイトだったり、恋愛だったり。生き物より女の子を追いかけていた感じですね。飼育は一切やっていなかったです。
部活動はしませんでした。コックさんになりたかったので、早々とレストランでアルバイトをして厨房を見せてもらったりしていました。
やっぱり料理が好きだったんですよ。両親が共働きだったので、割と早い段階で自分で料理をしていました。昔、『天皇の料理番』っていうテレビドラマの影響で、どうしてもフレンチのコックさんになりたかったんですよね。今でも料理はつくりますが、フレンチっていうよりは、お酒のおつまみになる居酒屋料理みたいなものをよく作ります。最近は年齢と共に和食傾向になってきていますね。
はい。外に意識が向いていました。
長野にいました。
高校を出て、地元では名門とされているホテルで、フレンチの洋食課という部署に採用されたんですよ。
そうです。大学進学は最初から考えていませんでした。とにかく厨房に入るには早い段階から修行が必要だと思っていたのと、ろくに勉強もしていなかったので。入社後、ホテル学校卒業の方、事務方、一斉に新人研修という形で基本的なことを学ぶんです。私はコックだから終われば厨房に入れると思っていたんですけど、なんとフロントに辞令が出ました。もちろん私はコックになりたかったけど、上の方から説得されました。
その後、私は飽き性なので色々やりたくなって、様々な業種を経験しましたけど、ホテルマンの時代が一番長かったんですよね。やっぱりまだ厳しい時代でしたから、先輩や上司からかなり厳しく仕込まれたのが沁みついてますね。
私は「畏怖」っていう言葉を教わりました。恐怖の恐れではなくて、お客様に対して畏怖の念を持てということだと思うんですけど、バックヤードでいないところでそのお客様のことを様付けで呼べるかどうかというのが一つ基準になるんだと言われました。例えば、みんなで飲みに行った時に「客にこんな嫌なヤツがいてさ」という話になりがちですが、そこでも、お客様として扱えるかですね。現場全体がプロ意識や敬意の心を持っていれば、お客様の悪口は裏でも決して言わない、みたいな風潮になっていたと思います。過去、私もいろんな飲食店で現場を経験しましたけど、今でもそれは大事だなというのを感じます。
はい、体が覚えました。もちろん、お客様との対応の中で思うところがあることもあります。それを言葉にする必要はない訳です。
私はお酒を飲むと忘れちゃいます。あとは他のお客様に悪影響が出るような場合、ルール違反している方を叱るのは許されるんじゃないかなと思います。個人の感情じゃないので。でも、うちはお客様に恵まれていて、きちんとした方が多いんです。そんなにひどい思いをしたことはないです。
まだです。社会に出てから仕事が楽しかったので、仕事ばかりしていました。
当時、ホテル勤務を転々としていました。一箇所でずっとというよりは、私はすぐ環境を変えたくなっちゃう性分もあったので、何軒か地元のホテルを渡り歩きました。例えばここのホテルだと組織が大きすぎてフロントチーフ止まりだけれども、もうちょっと小さいところ行くと支配人のポストとか狙えるとか考えながら。ビジネスホテルもあればバンケットをやってるような大きなホテル、大体色んなジャンルのホテルを経験して、25歳くらいで管理側になったんです。キャリアが管理側になって、時間的な余裕ができたんですよね。その時、カメレオンの勉強を始めました。カメレオンが大好きで、全ての爬虫類の中で一番飼育が難しいのがカメレオンである、と言われていた時代だったんですよね。挑戦してみたい、部屋にカメレオンがいたらどんなに素敵だろうと思って、結構がっつり勉強したんですよね。
かなり勉強しました。インターネットも今ほど普及してなかったですけど、書籍を買って自分の中でイメージをつくりました。紫外線が必要っていうのも知りませんでしたし、もちろんホットスポットの存在すら知りませんでした。
長野の実家でやってましたね。まずはエボシカメレオンを飼いました。やっぱり皆さん通る道ですけど、一種類飼うと色々欲しくなってくるんですよね。ソバージュネコメガエルとか、当時は今ほど高額じゃなかったんですよ。樹上性ばかり飼ってましたね。
好みですね。木の上にトカゲやカエルがいるのが好きでした。島田さんに会うまでは、ほぼ樹上性しか飼ってませんでした。
はい。島田さんからオファーを頂いて、その環境を作るとなった時に私が樹上性しか飼ったことがなかったので、結構勉強しました。あの時、シェルターを作らせてもらったりとか、乾燥系の環境っていうものを初めて組みました。自分でも出来ると思えるきっかけをいただいたのは、島田さんでしたね。
その時はまだ25歳ぐらいでしたけど、繁殖したいなって思いもあってやってました。ソバージュネコメガエルも、数匹飼って繁殖への意識はありましたけど、実際は成功したっていうわけでもないんです。
ある程度欲しい生体を集めて一番充実していた30歳の頃に実家が火事になり、全焼しました。コンセントのトラッキング火災だったんです。消防署の方は、そんなに責任を感じる必要ないよ、人災ではなく不可抗力に近いと慰めてくれましたけど、生き物も全滅しましたし、私の部屋が火元だったのでかなり心にきました。
私は勤務先にいて、家族も外出していて無事でした。でも生き物は全滅だったので、私はもう生き物を飼う資格がないと思いました。重い十字架を背負ったなと、ショックでしたね。憧れていたものを飼い始め、次はこれが欲しいなとか一番気持ちが膨らんでいる時だったので。
はい。二度と生き物は飼わないと誓ったのを覚えていますね。
20年位前ですね。もしあの時火事がなくてそのまま順調にいっていれば、30歳くらいで業界の人になっていたかもしれないですね。
移住が先ですね。仕事の都合で伊豆に来た訳ですけど、生活環境から何からすべて変わりました。余暇にお酒ばかり飲んでいてもしょうがないので、何かやりたいなと思った時に、もう一度生き物を飼いたいなと思ったんです。そして唐突にクラゲを飼いたいなと思いました。これくらいだったら許されるかなと。クラゲは当時ちょっと流行っていて、部屋でクラゲが飼えるような機材が出てきたりしました。
ぼんやりとクラゲを見ながらお酒を飲めたらすごく素敵だろうな、と思いました。クラゲってやっぱり飼うのがすごく難しいんですよ。クラゲの赤ちゃんって、最初はポリプっていう状態、イソギンチャクみたいなところから始まって、成長段階を経て、最終形態がいわゆるクラゲっていうふわふわしたものになるんですけど、このポリプから飼育を再開しました。
そこから微生物系のミジンコとかホウネンエビとかにもハマっていきまして、ペット飼育って感じじゃないですよね。ビーカーで飼ったのは、理科の実験とかそういうものへの憧れですね。飼うだけならバケツでもコップでも何でもいいんですけど、それをビーカーでやる。スポイトとかフラスコとかの実験器具を使ったり、顕微鏡で見て楽しんだり、まさにラボごっこですよね。実験室ごっこみたいなのをやっていたんです。アクアリウムとかテラリウムとか、そういう意味合いでラボラトリウムっていう造語を私が作ったんです。
そのときブルーゲッコーとの出会いがありました。ラボラトリウムでミジンコを飼っていたときに、雑誌で青いヤモリを見て、衝撃でしたね。真っ青なヤモリでした。もう二度と生き物は飼わないと思ったのがたやすく崩れて、あの時の誓いを撤回して、飼おうと思いました。
はい。当時は野生採取個体が安価に流通していましたからね。通販も当時はあったので、すぐ取り寄せてました。それと同時にカメレオンとか、当時失ったものを取り戻しにいきました。もう要するにタガが外れてしまったので。そしたら、すんなりと殖えたんですよ。
青いカメレオンの代表なので、本当は最初からパンサー・ノシベをやりたかったんです。ただ、エボシカメレオンの飼育が容易っていうのもありましたし、当時全て失った時にエボシカメレオンを焼死させてしまったので、そのリベンジという思いもあって、エボシカメレオンから始めました。それが成功したらノシベを買おうって思いました。累代F3まで殖やして、そろそろパンサーカメレオンにステップアップしてもいいだろうという判断で、その後ノシベにいったんです。
はい、種親ごと手放してノシベカメレオンを飼ったんですが、ノシベカメレオンは繁殖させられなかったんですよ。卵は採れたんですけど孵化させられなくて、そのまま生体も落としてしまって。でも、いずれ必ずパンサーカメレオン・ノシベの繁殖をやりたいと思っています。人生のタスクに残っていますね。
販売はしていなかったです。当時は取扱業も持っていませんし、そもそもアオマルメヤモリは当時、殖えてもあまり価値のないものでした。それでもやっぱり好きなので続けていたんですね。その後突然アオマルメヤモリは2016年にワシントン条約の絶滅危惧種Ⅰ類に入りました。
結局、国に登録しないといけなくなって、私は一応登録申請をしたんですよ。必要な書類も多かったり、手続きもかなり煩雑だったんですけど、飼育を続けたかったので登録しました。その頃、白輪さんという爬虫類業界のドンと言われる方が近くにいたので、直談判したんです「私はアオマルメヤモリを殖やしている者なんですが、絶滅危惧種Ⅰ類に入って、これからどうすべきですか。」と聞きました。白輪さんならなにか助言してくれるんじゃないかなという期待でした。すると、「君はこれだけちゃんとやってるんだから、売る売らない関係なしに業をとって適正に動かせるようにしなさい。」と言われました。白輪さんに会っていなければ、本当に一人の部屋で勝手に飼って終わりだったと思います。
実際に開業届けを出したのはコロナがきっかけなんですけど、SNSのアカウントを作ったのがその頃です。とりあえず屋号とかロゴを決めて、ちゃんと販売体制を整えました。
ヤドクガエルもやってましたね。今でも続けていますよ。
元々私は園芸をやってたんですよ。爬虫類飼育から離れてる時も観葉植物はやってました。濡烏(ヌレガラス)は、最近でこそ大分価格も落ち着いちゃいましたけど、私が買った時は26万円でした。これだけで、累計200万以上売り上げました。草は爬虫類と違って、うまくやれば殖えるのが早いんですよね。最近だと40万円位の草を買い付けましたがこれは私の得意なジャンルで、わりとすぐ回収できる算段です。草は枯れることもあるのでリスクがゼロではないですけど、これは勝算があったので。
無謀な挑戦はしないです。徹底的にリサーチしていけるなって判断がつけばいきます。
最近のトレンドとしては、カメがどんどん高騰して、若者が買えないみたいです。独身男性が、繁殖を狙ってハコガメやリクガメを家で飼うってアパート暮らしじゃ無理じゃないですか。庭付きの家がある人が飼うってなってくると、ある程度余裕のある層に限られるので、やっぱりお金を持っているおじさんたちがマーケットを作ってるんですよね。そこに将来性は見えないのでうちは参入しません
トレンドをある程度追っていかないといけないっていうのは、専業ブリーダーだからこそですね。好きでかつ売れるものっていう、その落としどころが重要ですね。ちょうどそのX軸とY軸、交差するところ。さすがに自分で興味がない生き物はやってもうまくいかないんですよ。自分も飼える喜び、モチベーションを持っていて、かつ収益性が高くて、人気のあるものが良いです。最近の選定は全部当たってますね。
レアで高額でも全然売れない生体っていうのは結構いますね。浪漫は感じますが私の場合売れなければ意味がないので。
いえいえ全然、弱小の新参者です。
アオマルメヤモリはやっぱりその辺では売っていないので、逆オファーというかお客様の方から売ってくれ、と言われました。何も営業活動しなくてもお客さんが来る状態でしたね。
はい。殖やしても全然価値がないって言われてたのに、好きで続けてたらそうなっただけの事です。私は生まれてから一回も爬虫類ショップに行ったことがなく、イベントも一回も見たことがなかったんですよ。だから界隈の事情もやり方もさっぱり知りませんでした。でも、ちゃんと業をとっていたので、正規に販売できるようになってお客様から販売してくれって言われるようになりました。当時は副業でお小遣い程度でしたが、やっぱり単価が高かったので、お小遣いの一撃が大きかったです。販売を始めてから実際に市場を見渡してみたら、当時ほとんど誰もやっていなかったんですよね。
韓国では日本以上に流通が少ないようですね。価格も日本よりも高く、私が実際に韓国の方に聞いたときは日本円に換算して、1匹30万とか日本の3倍ぐらいの相場でしたね。韓国に引越そうかと思いました。
正直個人的には難しいと感じたことはないですね。飼育は容易ってHPに書いちゃってますし。さすがに最近は表現を変えないといけないかなと思ってますね。
やっぱり繊細な生き物ですからね。最初に丈夫な生き物をやっていたら、もっと雑な管理が身に付いていたでしょうし。カメレオンという難しいとされているものが入り口だったのですんなり出来たのかもしれません。それでもやっぱり繁殖は継続が一番難しいです。
開業したのは5年前ぐらいで、非公式の活動も含めれば10年ぐらいです。
流通までのせているブリーダーは、うちだけかもしれないです。繁殖自体、国内ではまだそれほど多くないです。
生き物を飼うということなので、生き物にこっちが合わせていかないといけない。私がどうこうというよりも、彼らがどうしたいかにどこまで寄り添えるかだと思います。
環境含め頻繁に観察するということです。基本的なことですけど、可能な限り顔色を伺うことです。ホテル時代から相手の顔色を伺う仕事をしてたので、それが活きています。
今はお客様ではなくて爬虫類の顔色を伺っていますね。
根が刹那的なのでラボとしての未来を意識したことはないんです。ただ飼いたい生き物は個人的にまだまだいます。憧れだったけどそろそろ挑戦しても許されるのかな、という段階ですね。
ただ、勝算がないと挑戦はしないですね。生き物相手なので無謀な挑戦はしません。殺してしまうだけなので。成功までの道筋がきちんと立っていないといけない。それを挑戦と言って良いのかはわからないですけど。
飼う前から、繁殖までのイメージは出来ています。ビジネスになると殖やさないとご飯が食べられないので。新しいことを始めるにしても、これはいけるだろうという勝算がないとなかなか実行はできない。ここが趣味と違って不自由だったりするんですけどね。
話を聴く、調べる、とにかく”自分で動くこと”が大事だと思います。信頼できるお店やブリーダーを見つけたら関係を築く努力をしてちゃんと話を聴くというのが大事かなと思います。SNSやネットの無責任な情報を鵜呑みにして解った気になるのは一番危険です。紙媒体も最近は下火なんて言われたりもしてますけど、やっぱりちゃんとした書籍は情報の質が良いです。
また、飼いたい生体を迎えるにあたって、どこまで勉強や準備、費用負担ができるかは熱量に比例すると思うんです。うちで扱っている生体に関して言えば、ハードルを低くしてみんなが飼いやすくする必要はないと思ってます。相手が生き物なので、やっぱりそこに責任はありますから、ハードルはむしろ高くて良いと思っています。そこを乗り越えるくらいの熱意がないと、成功もしないし続けられないですよね。
もちろんうちで扱っているものに限りますけど、お客様にはどこまでも相談に乗っています。最後は本人次第ですけど、本人が諦めない限りどこまでも付き合うことがポリシーです。とはいえ、本当に生き物が好きな方はきちんと調べ上げてから来られますね。単価が高いものが多いっていうのもありますけど、割と最初から熱意と予習と準備が万全の方がほとんどですね。
うちは勢いで飼えるほど甘くないものばかり扱っているので。ただやはりお客様には助けられています。うちの自慢はお客様の質の高さですね。本当にありがたいです。