Talent No.23

TAKUYA_OKA
Breeder

  • #爬虫類にもホスピタリティを。
  • October 14th, 2025

Profile

岡琢也(おか たくや)。Blue Gecko lab. 代表。アオマルメヤモリを筆頭に、様々な爬虫類のブリーディングを行う。幼少期から爬虫類の飼育や繁殖に慣れ親しみ、静岡県伊豆への転居をきっかけにアオマルメヤモリをはじめとする爬虫類の飼育を再開。コバルトツリーモニター、ポリロフェルスゲッコーなど国内での繁殖例がほとんどない希少種の繁殖にも成功する。屋号にもある通り青い生き物に強く魅せられ、こだわりを持っている。

トカゲを追いかけた幼少期

今日はブルーゲッコーラボ代表の岡さんに事業をはじめるきっかけや、今までの歩みをお聴かせ頂ければと思います。僕もブルーゲッコーをはじめ、植物についても岡さんに色々教えて頂いています。幼少期はどのように過ごされていましたか。

生まれは、長野県の山奥です。新潟との県境に近い豪雪地帯なんですけど、生き物は当時から特別に好きだったと思います。魚やカエルを捕まえたり、トカゲを追いかけたり野生児みたいな感じでした。当然、その頃から生き物の飼育もしていました。

少年時代にすでにこういうブリーダー業をされることは、思い描いていたんですか?

全くそんなことはないです。当時の夢は、コックさんになることでした。ただ、保育園の先生が、この子は動物王国みたいなところに行かせるべきだ、この子はそういう道に行かせないともったいないって親に進言するくらいだったみたいです。だから保育園では教室にはいられず、トカゲを追いかけていました。マムシを保育園の敷地内で捕まえて、飼うんだ!て言って大騒ぎになり、保育園のバスに乗せて持って帰ったこともありました。

小さい頃から動物好きだったんですね。

特別、生き物、生き物ってこだわっていたつもりはないんですけど、周りの大人から見たら、どうも異常だったようです。

子供の頃というと、車や鉄道に興味を持つ人も多いかと思いますが、どうして生き物だったんですか?

実家の祖父母が、釣り具店をやっていまして、父が地元の釣り名人みたいなポジションにいたので、よくそこについて行って、私は後ろで川遊びをしていました。自然が豊かな環境で育ったので生き物に触れる機会が多かったんですよね。

確か釣りも好きで得意でもありましたもんね。

得意かどうかわかりませんが、やっぱり釣具屋だったので。幼少期は川や池で釣りをしていました。伊豆に来てからは海が近いので、釣りは今のほうがやってます。ヒラメとかアオリイカとかグラム単価の高い高級魚が釣れるんです。

幼稚園の頃からの生き物への興味はそのまま小学校、中学校に進んでもあったんですね。

そうですね。生き物係みたいなこともやってましたしね。授業中に生き物に何かトラブルがあった時、私がその対処をすれば、授業を受けなくても良いって免除されたこともありました。

将来の夢は、コックさん

生き物を飼っている皆さんには、大体過程があるんです。身近な在来種から入って熱帯魚にいって、そこから「上陸」という表現をしますけど、爬虫類、両生類にいかれる方がほとんどです。私もそういう感じで、中学生ぐらいまでは熱帯魚をずいぶん熱心に飼ってましたね。

中学生まで熱帯魚の飼育だったんですね。では、 高校生くらいになって「上陸」していくんですか。

いや、高校生の頃はアルバイトだったり、恋愛だったり。生き物より女の子を追いかけていた感じですね。飼育は一切やっていなかったです。

そうなんですね。部活やバイトなどはされていたんですか。

部活動はしませんでした。コックさんになりたかったので、早々とレストランでアルバイトをして厨房を見せてもらったりしていました。

コックさんになりたかったのには、何かきっかけがあったんですか?

やっぱり料理が好きだったんですよ。両親が共働きだったので、割と早い段階で自分で料理をしていました。昔、『天皇の料理番』っていうテレビドラマの影響で、どうしてもフレンチのコックさんになりたかったんですよね。今でも料理はつくりますが、フレンチっていうよりは、お酒のおつまみになる居酒屋料理みたいなものをよく作ります。最近は年齢と共に和食傾向になってきていますね。

高校の時は色々なことに取り組んで、無事卒業されたんですね。

はい。外に意識が向いていました。

その頃はまだ長野県にいたんですか?

長野にいました。

コックさんを目指すも、ホテルマンへ

卒業後は、料理の専門学校に進んだんですか?

高校を出て、地元では名門とされているホテルで、フレンチの洋食課という部署に採用されたんですよ。

高卒ですぐ働き始めたのですか?

そうです。大学進学は最初から考えていませんでした。とにかく厨房に入るには早い段階から修行が必要だと思っていたのと、ろくに勉強もしていなかったので。入社後、ホテル学校卒業の方、事務方、一斉に新人研修という形で基本的なことを学ぶんです。私はコックだから終われば厨房に入れると思っていたんですけど、なんとフロントに辞令が出ました。もちろん私はコックになりたかったけど、上の方から説得されました。

けっこう大きなターニングポイントですよね。興味深いのは、ブルーゲッコーラボの生体のラインナップ、メンテナンス、世界観も素敵なんですが、岡さんのホスピタリティの素晴らしさを感じているお客さんって多いなと思います。僕自身もそう感じていますし。根幹にあるのはホテルのフロントでのご経験が大きいんじゃないかなと思うんですよね。

その後、私は飽き性なので色々やりたくなって、様々な業種を経験しましたけど、ホテルマンの時代が一番長かったんですよね。やっぱりまだ厳しい時代でしたから、先輩や上司からかなり厳しく仕込まれたのが沁みついてますね。

先輩や上司の教えで印象に残っていることはありますか。

私は「畏怖」っていう言葉を教わりました。恐怖の恐れではなくて、お客様に対して畏怖の念を持てということだと思うんですけど、バックヤードでいないところでそのお客様のことを様付けで呼べるかどうかというのが一つ基準になるんだと言われました。例えば、みんなで飲みに行った時に「客にこんな嫌なヤツがいてさ」という話になりがちですが、そこでも、お客様として扱えるかですね。現場全体がプロ意識や敬意の心を持っていれば、お客様の悪口は裏でも決して言わない、みたいな風潮になっていたと思います。過去、私もいろんな飲食店で現場を経験しましたけど、今でもそれは大事だなというのを感じます。

敬意を持って接しているというのは、岡さんの全てのコミュニケーションに表れていますよね。それは意識してやっているのではなく、自然と身についたということでしょうか。

はい、体が覚えました。もちろん、お客様との対応の中で思うところがあることもあります。それを言葉にする必要はない訳です。

そういう心持ちでお客さんや他の人と付き合いたいと思いつつも、ちょっと不快な思いをしたり感情的になってしまうケースがある人も多いと思います。どうやって折り合いをつけているんですか?

私はお酒を飲むと忘れちゃいます。あとは他のお客様に悪影響が出るような場合、ルール違反している方を叱るのは許されるんじゃないかなと思います。個人の感情じゃないので。でも、うちはお客様に恵まれていて、きちんとした方が多いんです。そんなにひどい思いをしたことはないです。

その頃はまだ、生き物は飼っていませんでしたか?

まだです。社会に出てから仕事が楽しかったので、仕事ばかりしていました。

カメレオンからのスタート

どうやってブルーゲッコーラボが形作られていくのでしょうか。

当時、ホテル勤務を転々としていました。一箇所でずっとというよりは、私はすぐ環境を変えたくなっちゃう性分もあったので、何軒か地元のホテルを渡り歩きました。例えばここのホテルだと組織が大きすぎてフロントチーフ止まりだけれども、もうちょっと小さいところ行くと支配人のポストとか狙えるとか考えながら。ビジネスホテルもあればバンケットをやってるような大きなホテル、大体色んなジャンルのホテルを経験して、25歳くらいで管理側になったんです。キャリアが管理側になって、時間的な余裕ができたんですよね。その時、カメレオンの勉強を始めました。カメレオンが大好きで、全ての爬虫類の中で一番飼育が難しいのがカメレオンである、と言われていた時代だったんですよね。挑戦してみたい、部屋にカメレオンがいたらどんなに素敵だろうと思って、結構がっつり勉強したんですよね。

飼育前に勉強されたんですね。

かなり勉強しました。インターネットも今ほど普及してなかったですけど、書籍を買って自分の中でイメージをつくりました。紫外線が必要っていうのも知りませんでしたし、もちろんホットスポットの存在すら知りませんでした。

それは、まだ長野にいる頃ですか?

長野の実家でやってましたね。まずはエボシカメレオンを飼いました。やっぱり皆さん通る道ですけど、一種類飼うと色々欲しくなってくるんですよね。ソバージュネコメガエルとか、当時は今ほど高額じゃなかったんですよ。樹上性ばかり飼ってましたね。

樹上性が好みなんですか。

好みですね。木の上にトカゲやカエルがいるのが好きでした。島田さんに会うまでは、ほぼ樹上性しか飼ってませんでした。

今ではゼノガマも繁殖されてますよね。

はい。島田さんからオファーを頂いて、その環境を作るとなった時に私が樹上性しか飼ったことがなかったので、結構勉強しました。あの時、シェルターを作らせてもらったりとか、乾燥系の環境っていうものを初めて組みました。自分でも出来ると思えるきっかけをいただいたのは、島田さんでしたね。

カメレオンとか樹上性のものばっかり飼ってて、繁殖もされていったんですよね。

その時はまだ25歳ぐらいでしたけど、繁殖したいなって思いもあってやってました。ソバージュネコメガエルも、数匹飼って繁殖への意識はありましたけど、実際は成功したっていうわけでもないんです。

実家の大火事で、生き物が全焼

ある程度欲しい生体を集めて一番充実していた30歳の頃に実家が火事になり、全焼しました。コンセントのトラッキング火災だったんです。消防署の方は、そんなに責任を感じる必要ないよ、人災ではなく不可抗力に近いと慰めてくれましたけど、生き物も全滅しましたし、私の部屋が火元だったのでかなり心にきました。

出火したとき、岡さんはどちらにいたんですか?

私は勤務先にいて、家族も外出していて無事でした。でも生き物は全滅だったので、私はもう生き物を飼う資格がないと思いました。重い十字架を背負ったなと、ショックでしたね。憧れていたものを飼い始め、次はこれが欲しいなとか一番気持ちが膨らんでいる時だったので。

そこで一度幕引きをしたんですね。

はい。二度と生き物は飼わないと誓ったのを覚えていますね。

何年位前ですか。

20年位前ですね。もしあの時火事がなくてそのまま順調にいっていれば、30歳くらいで業界の人になっていたかもしれないですね。

伊豆の地で、ラボ誕生へ

そこからブルーゲッコーラボとして生まれ変わるわけですね。移住が先なんですか、ラボの誕生が先なんですか?

移住が先ですね。仕事の都合で伊豆に来た訳ですけど、生活環境から何からすべて変わりました。余暇にお酒ばかり飲んでいてもしょうがないので、何かやりたいなと思った時に、もう一度生き物を飼いたいなと思ったんです。そして唐突にクラゲを飼いたいなと思いました。これくらいだったら許されるかなと。クラゲは当時ちょっと流行っていて、部屋でクラゲが飼えるような機材が出てきたりしました。

ぼんやりとクラゲを見ながらお酒を飲めたらすごく素敵だろうな、と思いました。クラゲってやっぱり飼うのがすごく難しいんですよ。クラゲの赤ちゃんって、最初はポリプっていう状態、イソギンチャクみたいなところから始まって、成長段階を経て、最終形態がいわゆるクラゲっていうふわふわしたものになるんですけど、このポリプから飼育を再開しました。

そこから微生物系のミジンコとかホウネンエビとかにもハマっていきまして、ペット飼育って感じじゃないですよね。ビーカーで飼ったのは、理科の実験とかそういうものへの憧れですね。飼うだけならバケツでもコップでも何でもいいんですけど、それをビーカーでやる。スポイトとかフラスコとかの実験器具を使ったり、顕微鏡で見て楽しんだり、まさにラボごっこですよね。実験室ごっこみたいなのをやっていたんです。アクアリウムとかテラリウムとか、そういう意味合いでラボラトリウムっていう造語を私が作ったんです。

そのときブルーゲッコーとの出会いがありました。ラボラトリウムでミジンコを飼っていたときに、雑誌で青いヤモリを見て、衝撃でしたね。真っ青なヤモリでした。もう二度と生き物は飼わないと思ったのがたやすく崩れて、あの時の誓いを撤回して、飼おうと思いました。

手に入りやすかったですか?

はい。当時は野生採取個体が安価に流通していましたからね。通販も当時はあったので、すぐ取り寄せてました。それと同時にカメレオンとか、当時失ったものを取り戻しにいきました。もう要するにタガが外れてしまったので。そしたら、すんなりと殖えたんですよ。

パンサーカメレオン・ノシベについてはいかがですか。

青いカメレオンの代表なので、本当は最初からパンサー・ノシベをやりたかったんです。ただ、エボシカメレオンの飼育が容易っていうのもありましたし、当時全て失った時にエボシカメレオンを焼死させてしまったので、そのリベンジという思いもあって、エボシカメレオンから始めました。それが成功したらノシベを買おうって思いました。累代F3まで殖やして、そろそろパンサーカメレオンにステップアップしてもいいだろうという判断で、その後ノシベにいったんです。

その時エボシカメレオンは手放したんですか?

はい、種親ごと手放してノシベカメレオンを飼ったんですが、ノシベカメレオンは繁殖させられなかったんですよ。卵は採れたんですけど孵化させられなくて、そのまま生体も落としてしまって。でも、いずれ必ずパンサーカメレオン・ノシベの繁殖をやりたいと思っています。人生のタスクに残っていますね。

まだアオマルメヤモリを殖やしているとはいえ、その時はこういったブルーゲッコーラボもないですし、販売はされていなかったのですか?

販売はしていなかったです。当時は取扱業も持っていませんし、そもそもアオマルメヤモリは当時、殖えてもあまり価値のないものでした。それでもやっぱり好きなので続けていたんですね。その後突然アオマルメヤモリは2016年にワシントン条約の絶滅危惧種Ⅰ類に入りました。

結局、国に登録しないといけなくなって、私は一応登録申請をしたんですよ。必要な書類も多かったり、手続きもかなり煩雑だったんですけど、飼育を続けたかったので登録しました。その頃、白輪さんという爬虫類業界のドンと言われる方が近くにいたので、直談判したんです「私はアオマルメヤモリを殖やしている者なんですが、絶滅危惧種Ⅰ類に入って、これからどうすべきですか。」と聞きました。白輪さんならなにか助言してくれるんじゃないかなという期待でした。すると、「君はこれだけちゃんとやってるんだから、売る売らない関係なしに業をとって適正に動かせるようにしなさい。」と言われました。白輪さんに会っていなければ、本当に一人の部屋で勝手に飼って終わりだったと思います。

それが2016年のブルーゲッコーラボ誕生の時ですね。

実際に開業届けを出したのはコロナがきっかけなんですけど、SNSのアカウントを作ったのがその頃です。とりあえず屋号とかロゴを決めて、ちゃんと販売体制を整えました。

その時は、ブルーゲッコーのみだったんですか?

ヤドクガエルもやってましたね。今でも続けていますよ。

植物は爬虫類と同時に勉強されていったんですか?

元々私は園芸をやってたんですよ。爬虫類飼育から離れてる時も観葉植物はやってました。濡烏(ヌレガラス)は、最近でこそ大分価格も落ち着いちゃいましたけど、私が買った時は26万円でした。これだけで、累計200万以上売り上げました。草は爬虫類と違って、うまくやれば殖えるのが早いんですよね。最近だと40万円位の草を買い付けましたがこれは私の得意なジャンルで、わりとすぐ回収できる算段です。草は枯れることもあるのでリスクがゼロではないですけど、これは勝算があったので。

勝算がない戦いはしないっておっしゃってましたもんね。

無謀な挑戦はしないです。徹底的にリサーチしていけるなって判断がつけばいきます。

「好き」と「売れる」X軸とY軸が交差するところ

最近のトレンドとしては、カメがどんどん高騰して、若者が買えないみたいです。独身男性が、繁殖を狙ってハコガメやリクガメを家で飼うってアパート暮らしじゃ無理じゃないですか。庭付きの家がある人が飼うってなってくると、ある程度余裕のある層に限られるので、やっぱりお金を持っているおじさんたちがマーケットを作ってるんですよね。そこに将来性は見えないのでうちは参入しません

トレンドをある程度追っていかないといけないっていうのは、専業ブリーダーだからこそですね。好きでかつ売れるものっていう、その落としどころが重要ですね。ちょうどそのX軸とY軸、交差するところ。さすがに自分で興味がない生き物はやってもうまくいかないんですよ。自分も飼える喜び、モチベーションを持っていて、かつ収益性が高くて、人気のあるものが良いです。最近の選定は全部当たってますね。

その辺がやっぱり、商売センスですよね。

レアで高額でも全然売れない生体っていうのは結構いますね。浪漫は感じますが私の場合売れなければ意味がないので。

ブルーゲッコーラボが誕生して、今や事業として業界にも影響力を持っていますよね。

いえいえ全然、弱小の新参者です。

どういった事業設計だったんですか。

アオマルメヤモリはやっぱりその辺では売っていないので、逆オファーというかお客様の方から売ってくれ、と言われました。何も営業活動しなくてもお客さんが来る状態でしたね。

これは、狙っていた訳ではないですよね?

はい。殖やしても全然価値がないって言われてたのに、好きで続けてたらそうなっただけの事です。私は生まれてから一回も爬虫類ショップに行ったことがなく、イベントも一回も見たことがなかったんですよ。だから界隈の事情もやり方もさっぱり知りませんでした。でも、ちゃんと業をとっていたので、正規に販売できるようになってお客様から販売してくれって言われるようになりました。当時は副業でお小遣い程度でしたが、やっぱり単価が高かったので、お小遣いの一撃が大きかったです。販売を始めてから実際に市場を見渡してみたら、当時ほとんど誰もやっていなかったんですよね。

未だに数える程ですもんね。これは国内に限らず、韓国だともっと少ないですよね。

韓国では日本以上に流通が少ないようですね。価格も日本よりも高く、私が実際に韓国の方に聞いたときは日本円に換算して、1匹30万とか日本の3倍ぐらいの相場でしたね。韓国に引越そうかと思いました。

それくらい貴重だし、飼育も難しいですよね。

正直個人的には難しいと感じたことはないですね。飼育は容易ってHPに書いちゃってますし。さすがに最近は表現を変えないといけないかなと思ってますね。

僕もブルーゲッコーを、譲っていただいて、最近卵がとれて孵化しましたけど、そのときも丁寧に教えて頂いて、、やっていることがハイレベルですよね。環境一つとっても、緻密で、当たり前の基準が高いですよね。

やっぱり繊細な生き物ですからね。最初に丈夫な生き物をやっていたら、もっと雑な管理が身に付いていたでしょうし。カメレオンという難しいとされているものが入り口だったのですんなり出来たのかもしれません。それでもやっぱり繁殖は継続が一番難しいです。

そうですよね。ブルーゲッコーラボが誕生してから10年近く経ちますか。

開業したのは5年前ぐらいで、非公式の活動も含めれば10年ぐらいです。

開業してまだ5年ほどなのですね。ブルーゲッコーラボのスタイルとしては、メインはアオマルメヤモリだと思うんですけど、他にもカエルもヘビもタランチュラいますし、貴重な植物も扱ってますよね。国内でもCBコバルトツリーモニターの販売までやっているのは、ブルーゲッコーラボくらいですよね。

流通までのせているブリーダーは、うちだけかもしれないです。繁殖自体、国内ではまだそれほど多くないです。

頻繁に観察し、顔色を伺う

ラボの運営で気をつけてること、特に意識してることはありますか。

生き物を飼うということなので、生き物にこっちが合わせていかないといけない。私がどうこうというよりも、彼らがどうしたいかにどこまで寄り添えるかだと思います。

なるほど。生き物をよく観て付き合っていくということですね。観察において心がけていることはありますか。

環境含め頻繁に観察するということです。基本的なことですけど、可能な限り顔色を伺うことです。ホテル時代から相手の顔色を伺う仕事をしてたので、それが活きています。

ホテル時代から、ブルーゲッコーラボが出来るストーリーに繋がってますね。

今はお客様ではなくて爬虫類の顔色を伺っていますね。

どこまでも相談に乗る

最後にこのブルーゲッコーラボの未来、これからこういう方向に進んでいきたい、というのを聴かせててもらいたいです。

根が刹那的なのでラボとしての未来を意識したことはないんです。ただ飼いたい生き物は個人的にまだまだいます。憧れだったけどそろそろ挑戦しても許されるのかな、という段階ですね。

話を聴いていると「挑戦」というキーワードが出てきますよね。

ただ、勝算がないと挑戦はしないですね。生き物相手なので無謀な挑戦はしません。殺してしまうだけなので。成功までの道筋がきちんと立っていないといけない。それを挑戦と言って良いのかはわからないですけど。

すごいですね、岡さんらしい。

飼う前から、繁殖までのイメージは出来ています。ビジネスになると殖やさないとご飯が食べられないので。新しいことを始めるにしても、これはいけるだろうという勝算がないとなかなか実行はできない。ここが趣味と違って不自由だったりするんですけどね。

最後に、動物や生き物を全く飼ったことない人や、興味はあって一歩これから踏み出したいという人にむけて、岡さんからメッセージを頂けたらと思います。

話を聴く、調べる、とにかく”自分で動くこと”が大事だと思います。信頼できるお店やブリーダーを見つけたら関係を築く努力をしてちゃんと話を聴くというのが大事かなと思います。SNSやネットの無責任な情報を鵜呑みにして解った気になるのは一番危険です。紙媒体も最近は下火なんて言われたりもしてますけど、やっぱりちゃんとした書籍は情報の質が良いです。

また、飼いたい生体を迎えるにあたって、どこまで勉強や準備、費用負担ができるかは熱量に比例すると思うんです。うちで扱っている生体に関して言えば、ハードルを低くしてみんなが飼いやすくする必要はないと思ってます。相手が生き物なので、やっぱりそこに責任はありますから、ハードルはむしろ高くて良いと思っています。そこを乗り越えるくらいの熱意がないと、成功もしないし続けられないですよね。

もちろんうちで扱っているものに限りますけど、お客様にはどこまでも相談に乗っています。最後は本人次第ですけど、本人が諦めない限りどこまでも付き合うことがポリシーです。とはいえ、本当に生き物が好きな方はきちんと調べ上げてから来られますね。単価が高いものが多いっていうのもありますけど、割と最初から熱意と予習と準備が万全の方がほとんどですね。

勢いで飼う人は少ないんですね。

うちは勢いで飼えるほど甘くないものばかり扱っているので。ただやはりお客様には助けられています。うちの自慢はお客様の質の高さですね。本当にありがたいです。

貴重なお話、ありがとうございました。

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TAKUYA_OKA

岡琢也(おか たくや)。Blue Gecko lab. 代表。アオマルメヤモリを筆頭に、様々な爬虫類のブリーディングを行う。幼少期から爬虫類の飼育や繁殖に慣れ親しみ、静岡県伊豆への転居をきっかけにアオマルメヤモリをはじめとする爬虫類の飼育を再開。コバルトツリーモニター、ポリロフェルスゲッコーなど国内での繁殖例がほとんどない希少種の繁殖にも成功する。屋号にもある通り青い生き物に強く魅せられ、こだわりを持っている。

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