Talent No.22

KIMIO_TOMURA
Owener-Chef

  • #突き詰める。どんな仕事でも一緒。
  • March 14th, 2025

profile

戸村仁男(とむらきみお)。1958年生まれ。嵐山吉兆、京味で研鑽を深め、小林秀雄や川端康成、白州次郎、白洲正子ら文化人に愛顧を受けた。1992年『京料理 と村』をオープンし、2007年より赤坂から虎の門に移転。四季折々、旬であり最上級の素材を全国から仕入れている。季節ならではの料理を求め、国内外から常連客が集う。生産者との交流を通し、食材の育つ環境を深く理解の上、美味しさを引き出し表現することを大切にしている。

ほとんどの人は自分がやっていることに飽きてしまう。

ネットやSNSでの評価が高くて、話題になる店、人気店で予約困難なお店も増えています。それなりに美味しいのでしょうけれど、感動しないんですよね。リピートしたいとも思わない。よく見せることや流行りになることが優先されているようにも感じてしまって。美学のないお店も増えてきているように感じますが、戸村さんはどう思いますか。

店を回すことばかりに頭がいってしまって、美味しいものをつくろう、客を喜ばそうと思えなくなってしまってる店が多いんじゃないですか。弱みや欲につけ込んだ商売は上手かもしれない。でもそれが恥ずかしい事だとわからないと。ちょっとでも目立ちたいんでしょうけど、品がなくなっています。

自信がないからプレゼンテーションに力を入れてるんでしょう。ああいうのを見てかっこいいと思う若い人たちもいるのでしょうね。

派手さがあってわかりやすいものは飲食に限らず受けが良いですからね。戸村さんはお刺身の山葵だったり、薬味の山椒だったり、甘味のきな粉だったりにもこだわりがあり、驚きを感じます。

派手なものはわかりやすいけど、目の効く人は細かなところがわかりますよ。この山椒だってうちでひいてるんですが、すげぇ大変なんですよ。3時間はかかります。普通の店ではできませんし、やろうとも思ってないです。


「盲相手の仕事はするな。目明きだけの仕事をしろ。」って修行時代に親方によく言われましたよ。そっちを選ばないとやってて楽しくないです。


やり方、生き方、考え方をみている、こうあるべき、そこが一番大事です。テクニックは人それぞれなんだから根っこにあるものが大事です。ここを失ったらなくなります。

料理に限らず、全てに通じる話ですよね。流行りだったり、周りの声だったりに流されがちですから。

魚だって一緒。鮭だって川をのぼるでしょ、くだってくる鮭なんていねぇんだ。流されるのはカッパだけ。根っこがないから流されるってよく親方も言ってましたよ。

だから、どうやって生きるのかの方が大事。表面的には違えど、根っこは繋がっているから。ちゃんとやってるやつはそこを抑えています。道は一緒ですよ。

自分の中に美しい形がないと、ああはならない

そうですよね。戸村さんはその一本道を歩くためにどのようなことに気をつけていますか。

基礎をちゃんとやって乗り越えていくことじゃないですかね。基礎を一生懸命やっていく。それで新しいものに挑戦していく。基礎も挑戦も両方を持っていないと楽しくないんです。怯まずに挑戦していくことが大切です。

基礎って地味ですからね。疎かにされがちです。

かつてのお客さんである中村富十郎さんが教えてくれたんですけど「型があるから型破り。型がないと型なし、出鱈目」という教えはど真ん中にあります。かっこいいおじいちゃんでしたよ。

戸村さんは基礎を大切にされますよね。派手なところにみんな目が行きがちで、地味な仕事を嫌がる。でもそれがベースにあってこそだとはよく言いますよね。

人間国宝から受けた薫陶です。日頃の鍛錬を怠ってはダメ。サボるのと遊ぶのは違います。

花豆や黒豆を炊く仕事なんて地味かもしれないけど1、2年だとやらせてもらえない。脇鍋になるのにも最低15年はかかります。煮方のような仕事は出来ないし、そもそも知らないです。長くお店に来てもらうためには見えない仕事をしっかりしないと上っ面のことをやっても飽きられてしまう。客は言いませんが気付きますよ。

続ける大変さ、継続の素晴らしさもよくわかります。

どんな事でも続かないのは客が飽きるんじゃなくて、てめぇが飽きてるんです。自分に飽きてるんですよ。でも、その基礎を怠って他のことをやったって一緒。どんな仕事でも一緒なんじゃないですかね。

手間暇、労力、下積みもある。ちゃんと修行して、厳しいけどきちんと仕事を任せてもらえるようになることです。

信頼を得て、任せてもらえることで初めてできる仕事もありますよね。今はインスタントな結果を欲しがる時代のようにも感じます。

わかりやすくインスタントなものが好きな奴はそれだけ見る目がない。わかる人には選ばれませんよ。自分を磨いて次に来た時によくないと選ばれない。俺はこの先いないから、ピンでやるかキリでやるか、そんなものに価値を見出さないです。

個性もありませんよね。

商売するにしてもオリジナルがないです。かわいそうになっちゃいますね。昔は店の個性がありました。真似なんてしない。精神だけは継ぐ、やり方を変えるんです。

戸村さんの領域に達しても、もっと良くなるはずだというチャレンジングな姿にもいつも感銘を受けます。そこにも個性が現れますよね。

ネットで見て真似する、これが勉強だと思ってますよね。恥知らずで、食べにも行ってないからすぐ地に落ちます。客もそういうタイプだから、流行ってるものばかりで自分がない。オリジナルが全くない。汗かいて努力してやることを馬鹿にしている。みんなが真似する、えらい世の中になってきましたよ。だから、ちゃんとやってるだけでいいんです。

現場の大切さ、リアリティは僕も大切にしています。汗をかいて努力した先にリアリティがあるし、オリジナリティの源泉もあるように思います。その分、大変さや、わかりにくさはあるとは思いますけど。

わかりにくいから客も少ないんです。まともな店はないですから。数は少なくても濃い客を掴んだ方がいいです。好きなことをやって食えるんだからこんな運のいいことはない。腕一つで食べていけるんだから。日本料理は脚光を浴びて伸び代があります。だけど多店舗展開せず、流行ったら縮小して濃くやる方がいいです。人数を減らして倍とってやる方がいいですね。

美学と品格。かっこよさの本質とは。

戸村さんにとってかっこよさの本質ってなんだと思いますか。

顔も大事。腕だけでは駄目。何をしたいのかを突き詰めてる人。顔つきにでますからね、どんな仕事をしている人でも一緒ですよ。

そういう人は飽きないです。満足してないんですよ。こういう風にやればよかったとあとで考えている。反省することの方が多いじゃないですか。同じものでも変えていく、変わっていく風に考えながらやってる人は素敵だなあって思います。

学んでやることもある。そういう人の方が素敵。そういう人たちは若いですよね。歳をとらないです。

確かに、戸村さんも若いですよね。いつも少年のように楽しそうにやっているのが印象的です。

どんなものでも一緒ですよね。やっぱりいい絵でもいい茶碗でも見ていると、安土桃山時代に作られたものなのに、昨日窯から上がってきたかのように新鮮さがある。古臭くない。古いのは、いつの時代もたぶん駄目なんですよ。

やっぱり新しい。そういうのは何百年経っても良さがある。あるお客さんが言っていたんですけど、それを支えるのは持っている人間。茶碗で言えば使ってる人間。使ってる人間が育てる。どんな名品でも使って育てる。そうするとその茶碗がどんどん、どんどん成長していく。それを蔵にしまっていると、どんどん、どんどん顔色が悪くなっていって良さをなくしていってしまいます。

道具っていうのは使って育てる。自分で育てることが大事なんです。

どんなに名品でも使わないと駄目です。使うともっと良くなります。道具っていうのは使ってなんぼ。使わない人は買っちゃだめです。バッグでもなんでもそうで、使って良さを出していく。新品ではない良さを出していくものです。

ヨーロッパの人って、そうじゃないですか。古いものを大事にする。親のものだったり、知り合いのものだったり、その人がそこにあるというのが大事です。

白洲さんが吉田茂が死んだときに吉田茂のリビングにあったソファーをもらったらしいんです。ボロボロだったらしいんですけど、娘さんが張り替えようかと言ったそうなんです。そしたら、白洲さんが「親父の手垢がついたものを何で変えるんだ。そのままそれがいいんだ、それを新しくしてどうすんだ。」と。

その人の生き方がそこにもあるという考え。新品だからいいっていうのは違うだろ。これがいい。一緒にいる感覚もあるじゃないですか。吉田茂が座って葉巻吸ってたそのまんまなんですよ。

だから、変えるのはものすごく難しい。ボロボロになって朽ち果てるようだったら最低限使えるようにする。修繕ってそういうことじゃないですか。新品にすることではないじゃないですか。

戸村さんは白州次郎さんにスーツを頂いたんですよね。生き様を継承されて。

そうですね、持っています。当時すっごいカッコよかったんです。そのスーツを着てきたときに、すごいかっこいいですねってついつい言ってしまったんです。別に欲しいとかなんとも思ってなく、すごいかっこいいなあって。そしたら、次に来るときにクリーニングして持ってきてくれたんです。

そのときに「これ着ろ」って言われたんですけど、こういう人たちにいいなとか、そういうことを言っちゃいけないんだと学びました。こっちも欲しいと思ってない。向こうも理解してると思うけど、あげようかなって思っちゃうんですよ。そういう風に思わせちゃいけないなって思いました。

うちの弟なんて、万年筆かポールペン使ったやつをもらったんだーって喜んでました。何かを持って行かせたときに奥さんの白洲正子さんがくれたんですよ。駄目だよ、もらいに行ってんじゃねぇんだからって言いましたが、普通は喜んじゃいますよね。

料理人の父に影響を受け、料理の世界へ。

戸村さんが料理人を志した経緯として、お父さんの下で小さい頃から料理とかお手伝いもしていたんですか?

していないです。

してないのですね。では、どういったきっかけで、料理を好きになったのでしょうか。

うちの親父が飲み行くのが非常に好きな人で、よく色々なお店に連れて行ってもらいました。その影響が大きいです。

高校の時は、勉強ができない方じゃなかったんですが、好きじゃなかったんです。進路は、親子代々市役所、消防署とか、そういう時代だったんです。それで親父が、板前は良いんじゃないかと言いました。跡継ぎっていうのもあったんですけど、そこは全然気にしていなくて好きにしろという感じでした。

そういうお父様の教えがあったんですね。

自由にさせてくれましたね。お店を始めて最初の1年だけは大変でしたけれど、2年目から楽しくなってきました。3、4年経ってから自分で出来るようになりました。

1年目はやっぱり大変だったんですか?

全然違う土地ですし、やったことがないので慣れるまで凄く大変でした。当時は、今よりも修行が厳しく、休みも少なかったです。

弟の司郎さんも同じ道に進まれたんですね。

そうなんです。僕が店を始める時に、弟は他の仕事をしていたんですけど、ちょうど辞めたんです。だったら手伝ってくれと言いました。他にずっと一緒にやっていた若い子がいて、3人でお店をやっていました。その後、若い子が辞めたので2人になり、本格的に店を手伝ってもらうようになりました。彼はやりたくてやった訳じゃないから、僕とはちょっと違うんですよね。僕がいなくなったら聞く相手もいないし、自分の責任でやらない。そうなった時に初めて色々なことがわかります。環境はやっぱりその人をつくりますから。責任をとってくれる人がいる間は、そこまでの覚悟に誰もならないと思うんです。

今年入院された時、お店を休みにせず司郎さんだけでやられていましたよね。

はい。そういうのが大事だと思います。客は知っている人を呼んでもらいました。僕がいないでやろうとすると大変かもしれないですが、まずは自分が出来ることをやりながら見つけることが大切ですね。ちなみに僕の場合は、材料を探す名人です。

料理は素材が9割。でも、あとの1割も意外と大事。

戸村さんは全国から旬の食材をとりよせ、良い素材選びにとてもこだわっていますよね。

例えば鰻は蒸すとやわらかくなるのですが、水蒸気が鰻の中に入りこんでしまい、鰻とは別の味になってしまいます。一方、蒸さないとやわらかくならないので、その分材料をしっかり選んでいます。料理はテクニックだけではなく、9割が材料なのです。

戸村さんと同じ鰻を使っても、美味しくない店があると聞きました。

あとの1割も意外と大事で、野球の大谷選手のバットを使ってもホームランを打てるとは限らないのと一緒です。料理も材料さえ集めれば良いということではないです。どのように食べて頂くかも大事です。料理は僕が素材を小さく切っちゃうより、お客様の口の中で切った方が味も良くなると考えています。ある程度、厚さを持たせて奥歯で潰して食べると味が出てきます。最後にお客さんが食べて、参加して料理が完成するんです。薄く切ると食べやすいけれど、小さく切っちゃうとそのまま飲み込んじゃうので、味が楽しめないんです。

残りの1割も大事

素材9割で残り1割だけれども、その1割が大事なんですよ。みんな材料さえ揃えればいいと思っているじゃないですか。揃えるだけなら金払えばできる。でもそういうわけにはいかない。いい材料を持って来てもやりようによって、だめになることの方が多いんですよ。素材をどうするかという方が、それ自体を見れていないとやりようにならないんですよ。

見せかけの、簡単に言ったら何とか産のトリュフを使うとか、そんな風になっちゃう。

もちろん材料も大事ですけれども、それを生かすも殺すも残りの1割が大事。それができないと9割も9割にはなっていない。だめにする方が簡単ですからね。料理はそいつ自身がそのまま出ちゃうんですよ。

どうしても自信がなかったりとか、目立ちたいとか、金をもらいやすいとか、驚かしたいと思うと、やはりそれは欲なので。それが料理に出ちゃう。要らないことの積み重ねになっちゃう。材料をどう使うかとか、料理が主役になって考えられる人はそういうふうな仕事にならないんですね。

戸村さんの料理、戸村さんの色もありますよね。

出してないようなんですけれども、結局それをしないことが自分をアピールすることになっている。出そうとすると鼻につくというか、だめなんですよ。禅問答のようになっちゃいますけれども、結局そういうものなんですよ。

それがすごい個性になることもある。やっぱりどうしたって今はどこどこの何々みたいな感じで、寿司屋なんかはラベルまで貼ってあって。そういう風にしているじゃないですか。うちらで言ったらまず自信がない。それに頼るしかない。

自信があったらそんなことしないですから。

ドジョウは、泥臭いイメージがありますが、頂いたドジョウは全く臭くなく香り豊かですよね。

ドジョウは泥臭いイメージがついてしまっていますが、昔はそうではなかったんです。死んだドジョウを冷凍するのは味が悪く、さっきまで生きていたドジョウが一番旨いです。生かしておくのも大変なんですけどね。

昔はドジョウを扱う店が多かったですが、どんどん市場が縮小してしまいました。昔は1kg4万円位の高級品だったのですが、今は採る人も食べる人も減ってしまいました。

ドジョウの模型をつくってお店に飾っていましたよね。調理や道具の扱いもそうですけど、食材へのパッションも強く、おいしいのその先を目指されていますよね。

ドジョウの漁が出来る期間は、2ヶ月もないです。仕入れても温度管理が大変で、ドジョウが死なない環境をつくるのに3年かかりました。

四季折々の食材をいつも愉しませてくれます。材料選びの中でも目を引くのは冬のジビエですよね。

今、色々な所でジビエを扱っていますが、昔は東京で熊を使っていたのはうちだけです。僕の場合、自分が良いと思ったら普通に使って出したいと思います。

京料理と言いつつ「ザ・と村」という感じですよね。

京都の料理を作りたいとか、何かに縛られるっていうのは一切ないです。 本当に自由で、自分でやりたいことをやる。 それが献立としては一番良いんじゃないかと思います。東京の場合は、地産地消に縛られる必要がないので自由にできるんです。地方だと、こっちの方がいいのにと思っても現地の食材を使うしかないわけです。地元に良いものがあれば良いけど、よそから持ってくるのも良いと思います。

戸村さんは、熊鍋なら熊の里は山だからキノコを選ぶなど、表面的な美味しさだけではなく食材の自然さ、調和の美を感じさせてくれます。深い理解のもと、産地を大切に考えてらっしゃいますよね。

里に降りてきた熊なら、同じ里のものを使った方が良いと思います。生態のことを考えれば自然なことです。自然が一番の先生で、それをよく知っているのが地元の猟師さんです。天気予報だけでなく、こんな雲がきたら天気が荒れる等、肌で感じないと生きていけない職業です。

あとは現地の方に意見をもらい、それをそのままではなく料理として成立するように手直しをします。自分が東京でつくったものを生産地の方に食べてもらったこともありますが、すごく満足してもらえました。

シナジーを感じます。戸村さんは鮎釣りなんかもされますけど鮎の生態を理解しながら取り組んでいるんですよね。

>はい。ものすごく勉強になります。川のこと、魚のことをよく知らないと釣れませんからね。人間に合わせてくれません。川の状態をよく知らないといけないです。なんでもそうですけど、自分勝手だとうまくいかないですよね。

海外の方もよくいらっしゃるんですか。

先日はスイスとイタリア人の方が来て、とても喜んで頂きました。キノコはイタリアが本場なので、彼らはキノコのことは良く知っていますね。キノコは寒いと縮んで暑いと開いちゃって、気候による影響が大きいんですが、良い状態のものを手に入れて、鮮度良く、シンプルに提供するお店は中々ないです。

海外から日本に食事のためにいらっしゃる人もいます。料理人は、お客様にそこまでしてでも食べたい、と思ってもらえるような料理を出さないといけないと思います。

お店は、客筋が全て。

戸村さんのお店がここまで多くの人たちを魅了する秘密、店づくりの秘訣は客筋が大事だという話が印象的です。

全てこれに尽きると思います。店の財産は客筋。京都で100年以上も続いているお茶屋から教えてもらって学びました。

修行時代に「どうやったら長く続く仕事ができるのか?」と聞いたことがありました。

京都の人は中々言わないのですが、先斗町のお茶屋の倅が教えてくれたんです。長く続く秘訣は客筋だって。誰でも入れれば良い、という感じだと店が良くならないんです。京都は芸者さんや舞妓さんが来ます。

あそこの客は良くないという噂は、あっという間に広がって評判を落とすんです。良い意味であそこのお客さんは違う、と思ってもらえるように考えて商売をしています。本当は多くの人に来てほしいし、暇なのは嫌ですが、それ以上に客筋を大切にしていますね。

どんなに派手に使ってくれるやつでもこいつはちょっと、、という奴は断る。店の品格に関わるから。何百年守ってきた店の格が落ちる。だから、席はあるけど入れない。客数より客筋なんです。

昔は7つ温かい料理を出していました。お客さんが喜ぶのですが、冷めちゃうので1個ずつ出して温かい出来立てを出すようになりました。それで客が半分になりましたが、客筋は良くなりました。

客筋を大切にしているのはよくわかります。問い合わせの電話の態度などによってはお断りすることもあるとも言われてました。お客さんはどういった経緯で戸村さんを知り、来店されることが多いのでしょうか。

紹介で来店してくださった方が、リピーターとして別の方と来てくださることが多いです。特に外国人の場合は土地感がなくても、信用できる自分の友達の口コミを聞いて来ます。日本に行くんだったらここがいいよと。お客様は、有名店に行っただけで満足して帰るような人たちじゃないので、中身が伴っているか、それが値段に合っているかどうか全部見ています。価値観と経験を求めていますね。

海外のセレブの方がわざわざプラベートジェット機で戸村さんの料理を食べに来る話を聞いた時は驚きました

来てもらいたいからやる、というのは多分無理だと思いますね。どんなお客さんでもそうですけど、自分がこうしたいというのが相手に伝わらないと絶対来ないですね。

それをいいと思ってくれる人ばかりじゃないと思いますが、中にはそういう人がいます。10人いて、一人か二人いれば成功です。世界中を相手にするのであれば、大げさなことを言うけど一人二人で十分。

いちいちこっちから出向く必要はないんですよ。生意気ですけれども、来させられるだけのものをつくるということでいいんじゃないですか。相撲は得意なところで取らないと。相手のルールで相撲なんか取るもんじゃない。自分のテリトリーでやる。

お客さんとの関係性

最初のうちは全部断ることです。ほっといたらそれでもああだこうだと言ってきますから、それから話ができるんです。向こうはそんなものに慣れているので、嫌な思いなんか一切しない。日本人みたいに断られたら根に持つ性質じゃないんです。とりあえず言って言うこと聞くんだったらラッキーみたいな、やっぱりだめかって本題に入るというだけのこと。

むしろそっちの方が信用されます。何でもできますは一番ダメ。一番軽く見られます。欲しいんだったらどうぞっていう感じ。

自分がやりたいことをやって向こうが気にいるかどうか、それにかかってます。目が効く人は、出てくる向こう側まで見ていてむしろそれを大事にしています。こっちのやり方、考え方、生き方みたいなものまで見る。他人がどう、客がどうというよりは自分がこういうふうにしたいということをやっているのが一番なんじゃないですかね。

職人なんですからうちらは。営業マンじゃないから。

料理や店構えなど圧倒的ですからね。本物の方ほどわかるのでしょう。同業者の方の来店も多いですよね。

同業者の来店は、めちゃくちゃ多いです。皆さん食べログトップや三つ星のお店ばかりです。僕が60代なのに対し40代位の方が多く歳が離れているので、競争相手というより先輩という感じで敬ってくれますね。

戸村さんも、本当に良い店にはお店閉めてでも勉強しに行くと仰っていましたよね。

しょっちゅうですね。自分の休みの日に行くんじゃなくて、相手に合わせることが大切です。相手に合わせてこっちの店を閉めてでも学びに行く。そういうところで差が出るんじゃないですかね。

やる気のある子達は、本当に勉強に行っていますね。そういう人は、芽が出ています。昔はよく教えてくれる職人さんが多かったですけど、最近は言ってくれる人も少ないですから。

9割出来てようが10割出来てようが、もっと良いものがあるならこだわるべき。

先日取材したゲームプランナーの森山さんが話してくれたのですけど、夜中の1時くらいに全員呼んで会議をやって、9割出来ているのを全部ひっくり返したという任天堂のエピソードを聞きました。

よくわかります。9割出来ていようが10割出来ていようが、もっと良いものがあるならそこにこだわるべきなんですよね。料理でもそうです。今流行ってるからといって、もっと良いなと思うものがあったら、即変えるべきです。そうやって挑戦していかないと、本当に良いものは作れないです。みんなに分かりにくいかもしれないけど、ちょっとしたところにこだわらなきゃダメなんです。そこが大事なんです。

戸村さんは、毎回鴨の焼き方を変えてるって言ってますね。

鴨も一羽一羽、天然ものは違うじゃないですか。ずっとやっていればこれがどういうものか、だんだん深くわかってくるんです。今までこれで良いと思っていたものが、もうちょっとこうやったら良いと気づく日がきます。常に微調整はしているので、見た目は同じように見えて実は進歩しているんです。だから2、3回食べてもまた食べたいと思うんです。でもそれをやってます的な感じで作らないのが粋なんです。

興味を持ち続けて、いろんなものやっていないと多分わからないですね。50年やって客もある程度いて、じゃあこのままいけばいいやというのは多分無理です。ずっと、もっとこういうふうにできるんじゃないかっていうのが大事です。

実際、今日の料理は毎年食べているのに、より美味しく感じます。同じに見えて工夫されているのですよね。

変えなきゃいけない、と思いすぎるのも良くないです。よく俺は同じ料理は二度と作らない、みたいなことを言ってる人は全部ろくでもないです。変えること自体に価値を感じてしまっています。

ある程度同じ料理と向き合ってないと成長できないですもんね。

ポルシェは見た目は変わらないけど、中身はどんどん進化しています。小さいのにあれだけのパワーがあって、でも100年変わらない。伝統とはひたすら守るわけではなく、挑戦していないといけないです。100年、200年やってるだんご屋が変わらない味、と言いますけど中身は進化しています。

逆に変わってなかったら、もう時代に淘汰されてるってことですね。

続くわけないです。価値観も違う時代でも受け入れてもらえるわけですから。それは、美味しさっていう点ではやっぱり妥協してないんですよ。自分がこれが良いと思えば、夜中だろうと人気商品だろうとすぐ変えて、もっと良くする。チャレンジをすることがすごく大事なんです。

料理もそうですよね。時代によって変えていく柔軟さが必要ですもんね。

伝統も、今の時代にあったものが必要です。一方、ひと回りすると昔のものに価値が出てくることもあります。その時人気がなくても時間が経つと、何年後かに脚光を浴びることもあります。その逆もあって、人気があっても大したもんじゃなければ必ず消滅するんです。時間は意外と残酷です。良いものは埋もれていても、時間差があっても、いつか世の中に出てきます。生きている時にその人が脚光を浴びるとは限らないけど、それで良いんですよ。

良いものを作って、好きなことで飯が食えているうちは、幸せだなと思います。

日本人じゃなきゃできないっていうもの。

これからの日本に関してはどう思いますか。

アメリカ人みたいにルールを変えて自分たち側に有利にするみたいなのは、日本人にはできないですからね。電気自動車なんていい例じゃないですか。電気じゃないとユーロでは売らせないよって。自分たちがルールを作って権利を持ってやったわけです。できないで破綻したんですけど、あれが一番いい例です。うまくいけばトヨタでもなんでも全部ダメになっていました。

努力を怠って、ルールだけ変えて自分たちの土俵つくってやる。今まではそれでうまくいっていました。あいつらの得意技ですから。

いいものを作って、あとはどうやってセールスするかです。それさえできれば良いんです。盛田さん、井深さん二人で作ったソニーでは、手売りでアメリカまで行ったそうですよ。

パワフルですね。

意外にそれって効くんじゃないですかね。いいものであれば。ヨーロッパ人はわからないですけど、アメリカ人ってそういうのあるんじゃないですか。むしろ日本人よりもそういうものに飛びついてくれます。

今の日本人をどう見ていますか。

度量のある人が少なくなってきました。小粒ばかりです。昔の人は、家も会社も焼け野原からスタートで覚悟、環境が違います。

チャレンジしていないんですよね。そこそこ稼げればいい。それで自家用ジェットでも乗って、外車でも乗り回して満足しちゃうんですから。昔の松下さんとか本田さんみたいな、ああいう時代の人たちも日本にだっていたわけですから。

やる気というか、その気持ちというか。もちろん後からついてくるものだし、そういうものがあっての話ですけれども。今のこういうのだとなかなか難しいのかなと思いつつ、でもそのぐらいやらないと多分無理なんじゃないかな。

今は平和ですからね。

平和な時代に生きているから小粒です。会社の内部留保を増やしたところで何の自慢も出来ないです。税金を払いたくないからって他所の国にいってるのはどうなんですかね。それより税金の仕組みを変えるべきです。変えていかなきゃという気概がないんですよね。戦わなきゃ。

人のことばかり言うけど、自分のことしか考えてない人が多いです。

昔はお金持ってなくても豊かな人がいた。

昔はトップ10のうち、半分は日本の企業でした。

確かにそうですよね。何が大切になってくると思いますか。

時代が違うよって言ってたって、気持ちの部分は変えない。それくらいの根性を見せた方がいいです。中途半端なものは厳しい世界だから受け入れてくれないけど、本当にいいものであればいけるんじゃないですかね。

今のトップの人たちなんて戦争を知らない人たちです。俺らもそうですけど、高度成長の真只中に生きてた人で生まれた時から良い日本しか知らない、学生運動なんかしていないような世代です。今の若い子たちの方が、ちゃんとしてるんじゃないですか。そんなことやってる暇ないですから。

議員さんで元プロ野球選手のお客さんに、大谷翔平の何がすごいって聞いてみたんですけど、そしたら人間性とのことでした。日本人特有の気配りとかの方が大切なんじゃないですかね。

元プロ野球選手の超エリートである彼が、技術のことよりも人間性を最初に出したんですよ。そうじゃなきゃああいう突き抜けたスターにはなれないんじゃないんじゃないですかね。

大谷翔平も川端康成も人間性が一番と言いますね。

大谷ほどはよくないかも川端先生は笑 先生は、物書きが人がいいと言われたって何の役にも立たないだろうと言っていましたね。どんなに変わったやつと思われても、文章が面白いのが作家だから。人はよくても文章が面白くなかったら最低だからなって。

もちろんそうなんですけど、大谷の場合は野球もすごくて人間性もいいっていうのがすごい。

日本人のスポーツ選手は海外での活躍が最近多いですね。

サッカーだって何だって海外に行って活躍してもしなくても挑戦するじゃないですか。あれはもうすごいなと思います。みんな日本にいたって飯食えるんですよ。

政治でも経済でも大谷みたいなのが一人でもいいから出てきてほしいです。老人たちが足を引っ張る。そんな連中からみんなで守ることが大事です。

人生には限られた時間しかないから、好きな事に夢中になって打ち込むのが大事

いつも思うのは、人生には限られた時間しかないです。永遠に生きる訳じゃないし、いつまでも若くて体力がある訳じゃないんです。だから好きなことをやるに限ります。お金は必要ですけど、向こうには持ってはいけませんから。それだったら、好きな事に夢中になって打ち込むのが大事じゃないかなと思います。

どうせ、限られた時間しかないんですから。五体満足に生まれてるんだったら、好きなことを今後存分楽しんでやった方が良いんじゃないかなって思います。それで飯が食えれば万々歳です。どんな仕事も根っこは一緒なんじゃないですか。

まさにTHE AIRPORTに出演してくれているゲームプランナーの森山さんも、あと何年生きられるかわかんないから、何本作れるか逆算してやっていると仰っていました。

人生において水脈を当てるために穴をいっぱい掘っている人がいますが、穴をいっぱい掘るより狭く、深く掘ってみることです。結局水脈は何をしようと繋がる部分があり、色々なことが見えてきます。何をやっても根っこは一緒なんです。だから、浅くいっぱい掘るのが一番ダメです。

水脈が繋がっているから深く掘るんですね。

いっぱい掘って色々なことを考えるよりも、一つのことを夢中になってやっていれば視野が広がります。いっぱい色々なことをやっても、経験したつもりでいるのは大間違いです。ひとつのことをぐるぐると掘り下げていって水脈まで当たって、自分がこういうもんだって分かったときに、むしろそっちの方が広がりがあり色々なことが分かります。

料理にすごく真摯に向き合っていますよね。絵画や陶芸も含め色々な一流のものにつながっているじゃないですか。

周りにそういう人がいたっていうこともあるんだけど、自分が好きだったんでしょうね。好きじゃないとそういう人たちは教えてくれませんし、経験もさせてもらえません。

まさに「好き」ということこそがスタートラインですよね。

そうですね。特別コレクターのように買ったり出来るわけじゃないですけど、好きで見たり家をそういう風にしたり、それはそれで居心地が良くて楽しいです。やっぱり良いものを見ることは大事ですね。

戸村さんは良いもの、そうでないものってどういう風に見分けるんですか。

若い時、どういう風に決めたら良いのかって思って、代々家が骨董品屋の作家さんに聞いたことがあります。

「見た瞬間にわかります。人間だって本物が俺は本物だって手を挙げることはなく、偽物ほど本物に見せようと思って色々なことをします。本物は別に本物と見せようとする必要はないんです。でも美術品は偽物と知っていて楽しむのは、悪いことではないです。」

と言っていました。ちょうど川端康成さんも同じ考えだったようです。その人が小さい頃、骨董品屋に川端康成がよく来ていて小学校の夏休みの宿題の作文は、川端康成が書いてくれたと聞きました。

すごいですね。

もう亡くなっちゃいましたけど、作家さんって半端な知識じゃないです。じゃなきゃ本って書けないんですよね。

その人は原宿に住んでいてよく店にも来てくれました。呼び出されて料理して一緒に家で飯を食べました。家は後継ぎがいなくてやっていないんですが、元々ある美術品を酔っ払うと家に持って帰って見せてくれました。三十六歌仙絵巻とか一回出したら、しまうのにとても時間かかり、一回見て、もういいですと言いました。

本日の戸村さんの話を通して感じるのは、全てのこと、何より自分に真摯に向き合っている。囚われから解放されて、やっぱり自由を大切にされているのを強く感じますね。

何かに囚われずに、純粋に自分でやりたいことを分かっていることは幸せですね。特に今の時代、何でも出来るようで出来ていない人が多いですよね。分かっていないと夜中に呼び出されたら頭にくるけど、分かっていればちゃんと意見を聞こうという気になりますよね。頑固なところと柔軟に変えていくところ、両方持つことが大事です。

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KIMIO_TOMURA

戸村仁男(とむらきみお)。1958年生まれ。嵐山吉兆、京味で研鑽を深め、小林秀雄や川端康成、白州次郎、白洲正子ら文化人に愛顧を受けた。1992年『京料理 と村』をオープンし、2007年より赤坂から虎の門に移転。四季折々、旬であり最上級の素材を全国から仕入れている。季節ならではの料理を求め、国内外から常連客が集う。生産者との交流を通し、食材の育つ環境を深く理解の上、美味しさを引き出し表現することを大切にしている。

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