Talent No.28

HIDEAKI_SHIBATA
Artist

  • #ゴミの声を聴け
  • June 20th, 2026

profile

柴田英昭(しばたひであき)。1976年岡山県生まれ。アーティスト名は淀川テクニック。2003年より大阪・淀川の河川敷を拠点に活動を開始。ゴミや漂流物、廃棄物などを素材に、土地ごとの風景や人々との交流を取り込みながら造形作品を制作してきた。岡山県・宇野港に常設展示された「宇野のチヌ」は特によく知られている。国内外で滞在制作や展覧会を行いながら、ゴミという素材を通して人と土地、環境との関係を問い続けている。

いらなくなったものから、新しい意味をつくる

淀川テクニックという屋号はどんな由来があるんですか?

「ゴミで何かをつくる」という初期衝動が生まれたのが淀川でした。淀川という場所は僕の中で大事な場所です。ここ数年、淀川テクニックはSDGs としてのアーティストの文脈でよく呼ばれます。SDGs も社会的に大事なコンセプトではあるのですが、僕にとってゴミはいらなくなったものを組み合わせて、文脈を入れ替えるところに面白味を感じています。

SDGs やエシカル、そういう環境的なテーマではないんですね。

大事なテーマではありますが、根っこはそこじゃないです。

英語で書くartって絵や彫刻だけに留まらず色々な意味を持ちます。artificial(人工的)やliberal arts(リベラルアーツ)にもartが入っていますよね。そういう意味ではそんな技術やスキルがartなんだと思っています。

この山から採掘された自然物である石も様々な技術の組み合わせで人工物に変わっていきます。
人間の進化の歴史は、そういった目線の変化の積み重ねの上に出来上がっていると思っていて、僕もその延長線にいると思っています。

面白いですね。柴田さんは、生き物の作品が多いですが、柴田さんの中で生き物に対するこだわりがあるんですか。

元々ゴミっていらないもので命のないものですが、あえて命のあるものを作ることで、ギャップの面白さがあると思ってます。見てくれる人へのサービス精神もありますが、いらないもので命あるものを作ることは、とても作りがいがあります。まず自分が面白いかどうか考えるとやっぱり生き物になってきますね。

組み合わせを変えると新たな文脈が生まれる

柴田さんは、新聞の見出しから5・7・5を切り取る「コラージュ川柳」も考案されてるじゃないですか。これもこの作品の根底にある考え方と一緒なんですか?

そうです。ゴミでつくる作品もコラージュ川柳も、やってることは一緒ですね。元々ある文脈があるものから切り離し、もう一回組み合わせて再構築して、違う意味を与えます。それにより新たな文脈が生まれることを気づかせてくれたのがコラージュ川柳だなと思ってます。

なるほど。アウトプットは違うけども、根底にあるものは一緒ですね。

変な例えですが「HUNTER×HUNTER 」の5つある念能力のタイプでいうと僕は変化系なのかもしれないと思っています。コラージュ川柳やゴミの作品のように、あるものを別の場所にカットアンドペーストすることで、新たな意味を作ることを、いつの間にか行ってきたからです。

カットアンドペーストで出てくる意味って突然出現するんです。これってもしかしたら結構面白いところに行きつくかもしれないと思っていて、鑑賞目的の美しさや汚さだけではなく、アートのゲームチェンジャーになりうると思っています。

最初からそれを狙ってたわけじゃなくて、ただ面白いからやってただけなんですけどね。

やっていくうちに、繋がっているのが見えてくると面白いですよね。僕も廃校の教室をリノベーションして、コミュニティスペースにしています。かつて子供たちが学んでた場で、大人が活動する場所に意味を変えてやることが面白いなと。そういうのは、柴田さんの作品活動に通ずると思ってます。

見方をどう変えるかがすごく大事なところですよね。コラージュ川柳もそうなんですけど、一個一個の言葉は独立していて、違うものが合わさった時の関係性、そこに出てくる文脈が面白いですね。ゴミも一個一個は違う所で、全員違う人が使ってたものです。その中で同じようなものがあったりとか、違うものがあったり、今回の作品だとサメという文脈だったらうまくヒレになることもあります。

いつも一人ぼっちだった少年時代

柴田さんのルーツと言えば、岡山出身でしたよね。どんな幼少期を過ごしてたんですかね。

岡山の真庭市という、やばいぐらいの田舎でした。小さい頃は、ものを作ることや工作が好きでした。ちょっと前に小学校の同級生と喋ってたら、僕はいつも一人ぼっちだったよって言われましたね。人が嫌いなわけじゃなくて、一人でいても楽しく遊んでいるタイプでした。

そこから小学校、中学校もずっと真庭ですか。

真庭ですね。高校は真庭からディーゼル汽車で津山まで通ってました。

創作活動の原点はオールナイトニッポン

高校時代はどういった過ごし方をしてたんですか。

高校生の時は、山岳部だったので天気図を書くためにラジオを聴いてました。僕は天気図係だったので夜の21時から天気のラジオを聴いた後、そのままいろんなラジオ番組を聴いてました。深夜1時になるとくるとオールナイトニッポンが始まるんですよ。結構その辺で人格形成されてましたね。

柴田さんが影響を受けた番組やミュージシャンはいますか。

たくさんありますが、ミュージックスクエアやオールナイトニッポン。伊集院光の様々な番組、あと深夜ラジオのハガキ職人という存在はすごく面白かったですね。

実際にハガキは応募されたんですか?

応募はほとんどしてなかったですが、聴いているリスナーもそこに参加して盛り上がってるのが面白いなと思いました。コラージュ川柳も、僕が作品を作るんじゃなくて、ルールを作って、みんなが楽しく参加するのがコンセプトでした。

ラジオの番組作りに近いんですね。

あとは、テレビ番組の「たけしの誰でもピカソ」がすげぇ面白かったです。当時、僕自身全くアートが身近に無い環境でしたが、「誰ピカ」は衝撃的でした。アートと言いながら笑えるんです。でもお笑い芸人がやってるお笑いとは圧倒的に違う「何か」に洗礼を受けました。

公務員の家系から、アートの道へ

その頃は柴田さんにとってアートはどういったものだったんですか。当時からアーティストになりたいと思っていたんですか。

その時はあんまり意識してなかったですね。親にも、そういうのは無理だと言われました。

柴田家にとっては、異端児みたいな感じですか?

だいぶ異端児だと思います。芸術家一家でも、ものづくり一家でもないです。うちのお父さんは公務員で、お母さんは老人ホームに勤めていて、いわゆる公共的なお仕事でした。資格をたくさん取って良い学校を出なさい、みたいな感じでしたね。結局、服飾の専門学校を卒業後は就職して奈良の工場で働いてました。ニットの工場でプログラミングをやっていました。

そういう教えだったんですね。当時はアートの道に進むことは、反対されましたか?

反対というか、何を言ってるんだみたいな感じでした。アーティスト一本になってからも理解もされるには時間かかりましたね。津山工業高校の電気科だったので、服飾の学校に行くのは全然つながりがないし、先生にも全然理解してもらえなかったです。今から考えたら、とにかく岡山を早く出たかったんでしょうね。当時は何かをしたいんだけど、田舎すぎて情報がなさすぎたんです。当時、ファッションに興味を持ちはじめていて、専門学校で裁縫をしてみたらめちゃくちゃ面白かったんです。ファッション自体が好きっていうより、やっぱりものづくりが好きだったんですね。

岡山から出たいという衝動があったんですね。当時からこういう作品を作りたいという明確なイメージは、あったんですか。

なかったですね。卒業後就職した工場は1年間で辞めて、自称アーティストのフリーターをずっとやってました。アーティストになってからも、明確につくりたい作品があった訳ではなかったですね。

大阪の古本屋でディープな大人たちに揉まれる

最初はイラストみたいなものを描いて、大阪の中之島にある「海月文庫」というアート古本屋さんの企画展に作品を出していました。そこでは、色々なアーティストから影響を受けました。大阪各地からちょっと濃い目のおじさん、おばさんが来て、お酒を飲んだり、不思議な展覧会をしたりしてました。

それはディープですね(笑)

もう亡くなっちゃったんですけど、前回の70年の万博の時にも活躍をされてた具体美術協会の堀尾貞治さんという方にも影響を受けました。でも大阪で展覧会やっても知り合いしか来ないんですよ。いっぱい人が見てくれる場を探した結果、大阪のフリーマーケット的なART BEATっていうイベントに出品したりしていました。ちょうどその頃、たけしの誰でもピカソの中で、村上隆さんが「GEISAI」というイベントをやってると知り、東京で作品を発表することにしました。

そこでの反応はいかがでしたか。

最初は絵を出していたんですけど、自分はこれだけだとダメだと思いました。ただ絵を描くんじゃなくて、パフォーマンスであったりとか、拾ってきたゴミで何か作ったりとか、そういうことをやり始めて、シフトしていったらすごく面白がってくれる人も増えました。新聞で連載もらったりとか、スカウト賞をもらったりし始めました。

淀川テクニック、結成

それが淀川テクニックの始まりですか。

その頃淀川フェスティバルという、地元の主婦がフリーマーケットしたり、中学生がブラスバンドで吹奏楽で演奏したりするイベントがありまして。主催者のおっちゃんから「淀川にゴミがぎょーさんあるから何か作ってみてや。」とオーダーがありました。普段からお金がなくてゴミを拾っていたので、あえてゴミで作る作品は面白そうだなと思いました。友達に何人か声をかけたらみんなに断られましたが松永という専門学校の友達がのってきて一緒に作品を作ったのが始まりです。

なるほど。じゃあ何人かに声をかけたうちの最終選抜メンバーが松永さんだったんですね。

何が出来るかわかんなかったから、すげぇ面白かったんですよ。最初にイメージは決めて作るんですけど、作ってるうちに物が足りなくなって、探すこともありました。そこら辺のホームレスのおじさんや釣りのおじさんに喋りかけながら作るのがすげぇ面白くて。で、GEISAI二人組で出してみようと松永に話をして、名前がいるから淀川テクニックという名前をつけました。そういう体験も含めた作品をGEISAIに持っていったのが、淀川テクニックとしての出発点でした。

作品そのものではなくて、そのプロセスも含めてなんですね。

当時、大阪の道頓堀にキリンビールのビルがあったんですよ。すげぇ立派なビルがあってそこが全部ギャラリーだったんですよ。そこでキリンビールがスポンサーがコンペをしてました。キュレーター、建築家、現代美術家、編集者の4人の審査員が各1人づつ応募者から選出し、彼らがセコンドについた展覧会をして、見にきた観客の投票で一位を決めるコンペでした。応募したら、ヤノベケンジさんが淀川テクニックのセコンドについてくれることになりました。当時展示の方法など全く知らなかった淀川テクニックに色々アドバイスをくれた結果、コンペでは淀川テクニックが優勝しました。

東京と大阪で展示をしているうちに、たまたま見に来てた韓国の「釜山ビエンナーレ」のキュレーターさんが気に入ってくれて、展覧会が終わらないうちに次の展覧会が決まりました。その辺からずっと展覧会が続いてるっていう感じです。当時お金は全然なかったんですけど、展覧会だけやたら続いていました。

採掘工場にメガロドン爆誕

今回の「メガロドン」というサメの作品ですが、元々はどういうきっかけで制作を始めたんですか?

「人の森株式会社」という採石会社の工場から「長靴と制服がいっぱい余ってるから何か作れないか。」という話を頂いたのがスタートでした。

そんなぼんやりした話からくるんですね。

そうですね。人の森は、砂利をつくるのが主な事業ですが、会社の中にデザイン戦略部門があり、自分たちの会社をデザインを使って盛り上げていこうという流れがあります。そこで働かれている方から、「制服や長靴、使用期限が切れたヘルメットがいっぱい余ってるんだけど、何かつくれないか。」と話を頂きました。いつもはデザイン主体でやってるけど、今回はアーティストを呼んでみようという企画だったみたいです。

人の森では、作家とのコラボレーションは、初の試みなんですか?

そうですね。海老名の本社には屋内に他のアーティストの絵画が飾ってあるのを見ましたが、こういった屋外の敷地にドーンと作るのは初めてだそうです。

制作期間はどのくらいかかっているんですか。

現場入りしたのは、今から3カ月前、去年の年末からです。1年くらい前から調査や設計図を引くことはやっていました。

土地の歴史からコンセプトをつくる

アーティストとして、どのようなプロセス、思考で作っているのかも気になりますね。ヘルメットがたくさん余ってるという話からどのようにメガロドンが出てきたんですか。

僕は新たな場所で作品制作する時、まず場所のリサーチをします。この辺は丹沢山地という場所で、昔は太平洋に浮かぶ火山で出来た島でした。そして約500万年前から600万年前、フィリピンの方からプレートに乗って伊豆半島と一緒に北上してきて、日本列島にぶつかり海の底だった場所が迫り上がって出来た場所です。だから今でも岩の中に貝の化石が入っていることがあるそうで、その貝が海の中にいた頃をイメージしました。そして当時の生物を調べたら、メガロドンというデカいサメがいたらしいです。この山からはメガロドンの化石が見つかったわけではないのですが、この場所が海の底だった頃、メガロドンが泳いでいた可能性が高いです。

実際にいた生き物なんですね。

メガロドンは約2300万年前から360万年前に世界中の海に生きていたみたいです。そしてこの場所が広大なので大きな作品を作りたいとも思いました。

その頃実際にいた生き物を現代の漂流物やゴミでつくっているんですね。

はい。当時の世界に思いを馳せることができる作品を作ることができたらと思いました。こちらから見ると崖がバックになるんですけど、なんだか今も人知れずメガロドンが山の中にいる感じがします。

まず場所に足を運び構想を描くんですね。

そうですね。設置場所足を運んだ後は、ラフスケッチを描いたり、伊豆半島もほぼ 一周リサーチしました。伊豆半島の海ゴミはよく拾われているみたいで、なかなか落ちていませんでした。

逆社会問題ですね(笑)

はい。ゴミがなさすぎて困りました。ただ僕の場合、普段なかなかゴミ拾いの人が行かないところにも行きます。

山一つ越えて、車道がついてない海岸みたいな場所にゴミがたくさんありました。今回はそこに3回にわたってアシスタントと素材集めをしました。

ラフのスケッチを描いたら後は素材ありきですもんね。

そうです。ラフを描いてるけど、最終的には絶対違うものになります。出来上がってくると、こんな感じの作品を作りたかったんだ、とわかってきますね。

彫刻的な発想ですね。一つのものから削って生み出していく感じでしょうか。

彫刻の場合、削るんですけど、これは組み合わせですね。彫刻だったらまず形を作って、着色していく感じなんですけど、ゴミだと色と体積のあるものを一気に組み合わせていきます。厚みがあるので、作業はシンプルなんですけど慣れるまで難しいです。僕は長年やってるので、ポンポンとつけちゃうけど、アシスタントには僕が沢山ダメ出しをします。一定のルールがあるウロコは僕のやり方を伝えて、イレギュラーな顔やヒレを僕がやるっていう感じです。ヒレも本当のヒレの形とゴミの形との相性を見ながら決めます。

ゴミの声を聴け

柴田さんの中にルールがあるんですね。

ある程度ルールの中で生み出してます。大型作品は何人かのアシスタントの人と一緒にワーッと作っています。頭の中では確かにイメージとルールはあるのですが、いつも抽象的なアドバイスしかできなくてアシスタントに迷惑をかけています。「ゴミの声を聴け」みたいなことも時々言っていて、慣れてくるとゴミの方からから、「ここに置いてくれ」「ここしかはまらないよ」と言われている感覚があります。慣れてくるとゴミがジグソーパズルのようにパチパチはまっていきます。

淀川テクニックとしてスタートした時からゴミの声が聴こえてたんですか?

いや、全然そんなことはなかったです。淀川でやっていた頃は作品を完成させるというよりもうちょっと適当に遊びの延長でやってました。

今はあんまり遊びっていう感じでもないですか?

そこが面白いところで、遊びと仕事が混ざってます。何が出来るかわからないワクワク感を味わいながら最終的にはイメージのモチーフとして成立させるのが面白いですね。子供相手にワークショップでゴミをつかった「ゴミジナル工作」もやっていますが、それは子供たちそう言った感覚を追体験してもらうもので、いろいろな形をしたゴミが、馬に見えるとか猫に見えるとか、そんなやりとりが楽しいです。

この作品はカラフルなのも特徴的ですが、着色してるんですか?

着色はしてなくて、ニスのようなコーティング剤を塗ってるんです。太陽光でゴミがどんどん劣化していっちゃうのをちょっと遅らせる感じで塗ってます。ゴミの本来持っている色や形を生かすことを大事にしていて、背びれの上の、グルグルしてるやつは、元々ああいう形のパーツで、尻尾にもあるんですけど、ここの工場のベルトコンベアの下の回ってるところのパーツです。すごく形が面白いし、その場所を表してる素材をあえて見えるところにおいてます。

適当ではないですよね。ランダムではなくて、やっぱりちゃんと意味があるんですね。

ゴミって新品にはない物語、文脈があるので、そこが面白いじゃないですか。この土地の持ってる歴史を一回ほじくってみると、何百万年も前の石の中に貝があったり、ここで働いている人の姿が思い浮かんだりする。それがすげぇ面白いなと思います。

今回の作品は、依頼されて作ってると思いますが、クライアントに説明するんですか?

社長さんや社員の方々と Zoom で想いを説明させてもらって、皆さん気に入ってくださりました。

この作品はクライアントワークなので、クライアントさんが OK って言わなかったら進まないんですか?

そうですね。人の森の社長さんは、山だから鹿とかの動物を作ると思われていたそうです。最初メガロドンのプランが来たからびっくりされたみたいですが、そこに意味があって、理由もちゃんと説明させてもらったら、すごく理解してくださいました。

アーティストは儲けないと活動できない

アート活動というと、やっぱその社会とのお金との関係とかもあると思うんですけど、柴田さんはお金をどう捉えてるんですか?

最低限は儲けないと活動できないですね。最低限自分と家族が生活できないといけないし、こんな大きい作品を作るのはどうしてもお金がかかります。そのためには時間もお金を大分ぶっこまないと作れないので、お金もすごく大事です。

活動を始めた当時は、バイトの時給よりも少ない額でアート活動をしてました。色んなバイトをしましたが、長続きしたのは手打ちうどん屋でしたね。でも僕はあらゆる仕事が面白いと思っています。

今でもうどんのイベント、されますもんね。

うどんも打ち続けると面白いし、他の飲食も土木のバイトも結構面白いんですよ。ただ、アートやものづくりでお金をもらえる方が嬉しいですね。

面白いことに忠実に生きる

幼少期からずっと面白いというところに忠実ですよね。

面白い欲望にはかなり忠実です。面白いことが多すぎて、忙しいんです。車を運転してるとよそ見し過ぎてちょっと危ないです。あとは、もう与えられた人生はもう半分位いってるんだから、自分の命をどう使うか常に考えています。アーティストはひとつ作品を作って終わりじゃなくて、人生でどうやって自分の作品を残していくかだと考えています。

自分のアイデンティティとしては、アーティスト・芸術家というのが強いですか?

うどんを打つのも面白いです。ただ自分のアイデンティティは元々あるものをの新たに組み合わせて変えることで新しい価値を生むことにグッとくることが多いです。価値っていうとお金を連想されがちですが、お金だけが価値ではないです。ものの意味をガラッと変えることで自分たちの世界の意味変をしていくのが、僕の中ではグッときます。

キュレーターっぽいですね。

自分のアイデンティティは、コラージュ川柳をやることで見えてきたので、そこをもうちょっと言語化するのが、最近の目標です。自分のやってる作品の意味って何だろうなと、この2、3年はすごく考えています。

今、自分の中でしっくりきてるものってありますか。

作品のつくり方はわかったけど、まだしっくりきてないんですよ。言語化を今やってる最中です。

アウトプットはできなくとも、衝動的な気持ちはあるんですか?

気になって仕方ないということはあります。実際に作るのが好きなんですけど、頭の中で作るのも好きなんですよ。妄想で何か作ることは同時進行でやってますね。

柴田さんの描いてる未来、この先やりたい取り組みを聞いてみたいです。

僕は、芸大を出た訳でもなく、服飾の専門学校を出ただけなんですけど、もう一回勉強し直したいなと思っています。技術的なものは自分でできちゃうと思っていて、それより文脈を勉強する意味で哲学を学びたいです。

怒りを作品として爆発させろ

最後に、これから社会に出る若い人たちや、やりたいことや欲望はあるけど、折り合いがつかない人、自由に作品作りができていない人にメッセージやアドバイスをお願いします。

アドバイスはあまりないですけど、僕は若い頃、何かに怒ってました。誰かに怒るんじゃなくて、自分自身がやりたいことを出来ないモヤモヤであったり、自分はこんなにやっているのに、なんで違う作品が評価されてるんだっていう苛立ちでした。そういう怒りみたいなものを、自分の中でおさめるんじゃなくて、作品で一回爆発させるのはすげぇ大事だなと思っています。作風や売れ線、そんなのものではなく、一回自分の持ってる怒りやモヤモヤ、欲を作品として全て出してみることですね。 そして全て出しきってカラカラになると「もう飽きたから違うことしよ」となるかも知れませんし、「あれ、そろそろ誰かのために作ってもいいかも」となったりします。

なるほど。感情をぶつけた結果なんですね。

今はもっと静かで穏やかな気持ちですね。あんまり難しく考えすぎずにとにかく作っています。でも自分だけで完結してたら面白くないから、やっぱり人に見せることが大事です。

確かにそうですよね。もしそういう部分で立ち止まり、悩んでる人がいたら、とにかく作って、人に見せることが大事ということですね。

命尽きる前に、一番やりたいことをやれ

早くしないとおじいさんになって命が尽きてしまう。早めにやりたいことからやった方が良いです。「一番やりたいことからやらないと死んじゃうよ」とよく言ってますね。

柴田さんらしい、良いメッセージですね。今日はありがとうございました。

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HIDEAKI_SHIBATA

柴田英昭(しばたひであき)。1976年岡山県生まれ。アーティスト名は淀川テクニック。2003年より大阪・淀川の河川敷を拠点に活動を開始。ゴミや漂流物、廃棄物などを素材に、土地ごとの風景や人々との交流を取り込みながら造形作品を制作してきた。岡山県・宇野港に常設展示された「宇野のチヌ」は特によく知られている。国内外で滞在制作や展覧会を行いながら、ゴミという素材を通して人と土地、環境との関係を問い続けている。

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